【街景寸考】医師・中村哲氏のこと

 Date:2020年01月29日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 朝、寝床から起きて洗面所に向かおうとしていたとき、TVニュースを見ていたカミさんが突然「あらーっ!あらーっ!あらーっ!」と悲鳴に似た声を繰り返した。その声色から、相当嘆き驚いている気持ちがわたしに伝わってきた。

 何事かと思ってTV画面に目を遣ると、医師の中村哲氏が銃撃され、亡くなったというニュースが報じられていた。中村医師とは、長年にわたりアフガニスタンで医療活動に従事する傍ら、井戸掘りや灌漑用水路の建設などの人道支援を主導してきた人物である。

 「なんで?少し前のニュースでは命に別状はないと言っていたのに!」と、カミさんの悲しみや怒りが混じった心情は直ぐに収まりそうになかった。中村医師の数十年にわたる活動をTVなどで見聞きしながら敬意を払っていたカミさんだったので、大袈裟とも思えるその悲しみや怒りに違和感を覚えることはなかった。わたしも、中村医師の出身が同じ福岡ということもあり、これまで親しみを持ち続けていた。

 カミさんは中村医師のことを、「信念を貫いてきた人だった」「本物の人だった」と褒め称えた。最も弱い立場にある人々のために尽くしてきた数々の功績と人柄をあらためて思い、わたしも傍で大きく頷いた。

 「信念」とは自分が正しいと信じる強い心のことだ。「信念を貫く」とは、その強い心を持って目標に向かい、貫き通す力のことだ。信念を持つということだけでも簡単ではないが、その信念を貫き通すことは更に難しいはずである。中村医師は命をかけて、それを貫いてきた稀有な人物だ。

 「本物の人だった」という言葉も、実に腑に落ちた。これまで「あの人は本物だ」という人物評に居合わせたことはあったが、どこがどう「本物」であるのか、どういうことが「本物」であるのかについて理解しづらく、自分の言葉で表現することができないできた。

 ところが今回の突然のニュースにより、中村医師の功績や人柄のことをあらためて思い返し、「本物」とは「常に謙虚であり、信念を持って貧しい人々のために一生を捧げた人物」であるということを、しっかり自分の心にきざむことができた。

 わたしの場合、恥ずかしながらこれまでの人生、信念というものを抱いたことがなかった。いつも場当たり的に物事を考え、思い付きのまま動いてきた。長期間にわたって努力を必要とするような目標を持つことを、大の苦手としてきた。博多弁で言う「だいたいでよかろうもん」という人生を生きてきた。

 こんなわたしに、中村医師から「老い先はこのままでよいのか」という重い課題をいただいたように思えなくもない。

 中村先生のご逝去の報に接し、この場を借りて謹んで哀悼の意を表したい。