【街景寸考】「ヨイショ、ヨイショ」のこと

 Date:2020年09月30日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 近年、自宅2階の階段から下りるたびに、しっかり手すりに掴まっていないと踏み外してしまいそうな不安に駆られるようになった。そう思うようになったのは60代の半ばを過ぎてからのことだ。加えて、一段下りるごとに「ヨイショ」という掛け声も自然に出てくるようになった。この掛け声が自分の安全を担保してくれているような実感がある。

 掛け声と言えば、景気よく体を動かすための仕事唄の中にもはやし言葉として数多く取り入れられている。ソーラン節の「ヤーレン、ソーラン」がそうだし、炭坑節の「サノヨイヨイ」、八女茶山唄の「モマシャレ、モマシャレ」、茶切節の「チャッキリ、チャッキリ、チャッキリナ」などもそうだ。

 仕事唄には作業をする際に労働者を景気づける効果はもちろんだが、作業の疲れを癒す効果や労働の喜びを分かち合う効果もあることを思えば、こうしたはやし言葉が盛り込まれてきたのも至極当然だったと言える。

 美輪明宏が歌うヨイトマケの唄に出てくる「父ちゃんのためならエンヤコーラ」も仕事唄だ。「エンヤコーラ」と皆で掛け声を合せることで、大きな力を一気に出すことができる。数人で重たいものを持ち上げるときに、「セーノ」と事前に口を揃えて心の準備をし、「ヨイショ」と力を入れるときの掛け声も同じ原理だ。

 そう言えば、長島茂雄が読売巨人軍の監督をしていた頃、面白い話を聞いたことがある。長島監督の指導法は理詰めの野球理論に基づいたものではなく、選手の感覚や感性に直接訴えるものだったという話である。「ボールがスッとくるだろう、そしたらバットをカーンって振るんだよ」という指導法だ。この稚拙とも思えるような指導法が、脳科学的に最も効果があるらしいことを後年知り、「ヨイショ」の効果と同類のように思えた。

 近年のわたしは、あぐらをかいた状態から立つときや、自動車の運転席から降りるときに「アイタタタッ」という声が出てくるようになった。実際に痛いときもあればそうでもないときもあるが、声を出すことで動きやすくなり、腰や膝の痛さが和らぐ気がするのである。

 若い頃は「ヨイショ」も「アイタタタッ」も口をついて出ることはなかった。今の自分がいかに老化の進んだ身体になっているかをしみじみ思い、感傷的な気分になるようにもなった。思えば亡き祖母や母も今のわたしと同じようにしかめっ面をしながら、「ヨイショ、ヨイショ」「アイタタタッ」を連発していた。そのときの光景が懐かしく浮かんでくる。

 先日行われた還暦野球の試合中でのこと。2試合目でひどく疲れていたせいか、「ヨイショ、ヨイショ」と青色吐息をつきながらわたしは打席に入っていた。すると、相手方のキャッチャーが「ヘヘヘッ」と笑いやがったのだ。共感の笑いだったのか侮蔑の笑いだったのか判断しかねたが、寂しく笑い返すしかなかった。

 今後も掛け声を上手く活かしながら、元気に生きて行こうと思う。