【街景寸考】「麒麟がくる」を観終えて

 Date:2021年02月24日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 先日、NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が終了した。今回はわたしの大好きな「本能寺の変」を題材にしたものだった。

 戦国時代に全国統一を進めていた織田信長が、臣下である明智光秀に本能寺で討たれるという歴史的事件は、小説の筋書きとしてもそう簡単に思いつくものではない。こんな重大な史実なのに高校日本史の教科書にはわずか2行くらいしか扱っていない。

 さて、観るのが待ち遠しかった「麒麟がくる」だったが、前半はモックン(本木雅弘)の斎藤道三役を除けば特に惹きつけられるところがなく、正直退屈しながら観ていることが多かった。新型コロナの影響で、放送が休止になったことも気持ちを遠のかせた。

 もっとも、前半がこうした生温い展開になることは、ある程度予測できた。というのは、光秀は生年や生地が不詳だとされ、青年期の履歴も不明な点が多いということから、めりはりのある脚本は書けないのではないかと踏んでいたからだ。そう思いながらも、一方で「本能寺の変」に近づく頃になってから腰を据えて観ればよいという思いもあった。

 そして、そのとおりになった。後半に入ると光秀が将軍・足利義昭に仕え、後に信長の家臣になる辺りから面白くなってきた。ドラマの展開やテンポも生き生きしたものになってきた。特に信長が光秀に討たれることになる色々な伏線が描かれる辺りから、片時も目が離せなくなった。織り込み済みだったが、それでも心が躍っていた。

 今回の「麒麟がくる」は、これまで大河ドラマで扱われてきた「本能寺の変」と異なる点が結構あった。その一つは、光秀が信長の殺害を宿願する意味を込めて詠んだとされていた「ときは今、あめが下しる五月かな」の句が扱われていなかったことだ。それから秀吉のことである。これまで秀吉はひょうきんな部分と抜け目のなさを併せ持った性格として描かれてきたが、今回は抜け目のなさの方を特に強調していた。

 他にもあった。光秀のことを十兵衛という異名で通していたことだ。更には、信長が本能寺で自害をする前に謡い舞っていた「人間50年 下天の内をくらぶれば・・」の曲舞のシーンが描かれていなかった。史実のように描くのは不自然だと見做したのだろう。

 今回、時代考証の部分でも驚かされたことがある。それは帰蝶(信長の妻)もそうだったが、女性が着物姿で立膝をして座っている光景である。これまでは必ず正座の姿を映し出していた。この変化も、新たに肖像画などの史料が出てきたのかもしれない。

 今回の「麒麟がくる」で最も興味を持っていたのは、光秀謀反の動機をどう描くのかという点だった。この点では朝廷が信長追討を示唆したことや、将軍義昭殺害や長曾我部攻めを指令した信長への抵抗、更には家康饗応の席などで光秀を罵倒し足蹴にしたことへの怨恨等々、伏線になったものを描いていたが直接的な動機は謎のままだった。

 これまで謎だった秀吉の中国大返しのことも描かれていたが、紙面が足りない。いつかまた大河ドラマで「本能寺の変」が扱われるであろう。そのときは新たな史料が発掘され、謀反に至る真実が脚本に登場してくるのかもしれない。今から楽しみである。