【街景寸考】「青臭い考え」のこと

 Date:2021年03月31日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 小学5年生の頃だったと思う。星空を眺めながら「宇宙はどれだけ広いのだろう」という思いを抱くようになった。そして、どこまでも広がっている宇宙のことを想像するたびに、地球が砂粒より小さいものであることを知り、奇妙な感覚に陥っていた。

 そこから先は想像を働かせることはできなかったが、無限大に広がる宇宙のことや砂粒よりも小さな地球のことを思うと、自分は「在って無い」という頼りない存在に思えたり、不可思議な存在のように思えたりした。思えば、わたしにとってのこの思いは、初めての哲学的な思考とも言えるものだったのかもしれない。

 中学2年生くらいになると「自分はどんな大人になるのだろうか」という思いを持つようになった。進学か就職かの判断を迫られる時期でもあったからだ。特に、大阪や名古屋に集団就職するという級友たちの声を聞くようになってからは、自分の近い将来の問題としてこの思いに向かい合っていた。

 東京で過ごした大学時代は、圧倒されそうな人混みや林立した巨大ビル群の中で、自分の存在があまりにも希薄で脆弱なものであるかのような不安を持ち続けていた。ただ漫然と過ごしている自分みたいな人間は、そのうち奈落の底に落ちてしまうのかもしれないという恐怖さえ感じていたことがあった。こうした憂鬱な気分の中で藁にもすがる気持ちで思ったのは、本を本気で読んでみようということだった。

 本を読むことで、生きて行くための理屈や目標を知り、自分の立ち位置を見つけることができるのかもしれないと思った。もっとも、生活のかかったバイトを続けながらの読書だったので、その量はたかが知れていた。それでも社会科学や哲学、文学などの本を読んでいくうちに、社会や人間のことを知るようになり、生きていくための足場が少しずつ固まっていくような感覚を得ることできるようになった。

 ところが、職に就き結婚して家族を持つようになると日々の生活に追われ、学生時代に模索していた「どう生きるか」という自問をしなくなり、本も読まなくなった。しかも世間では、根源的なテーマを自問する者に対して「いい歳をして、まだそんな青臭いことを考えているのか」という常套句で揶揄していることも知った。

 思うに、人間誰しも未熟者だと言っていい。未熟者ゆえに青臭い考えを持っていても不思議ではなく、揶揄されることではない。むしろ、いつまでも青臭く生きることこそが、人生を真面目に生きている証であり、中身の濃い人生を生きようとしている証であると言える。こういう大人こそが、深さや広がり、強さや魅力が具わった人間のようにわたしは思う。

 急速に進むデジタル社会の今だからこそ、過度に経済の合理性や効率性が優先される今だからこそ、ときどき一旦歩を止めて自分自身と向かい合い、「何が自分にとって一番大事なことなのか」を考えるのが最も大事なことのように思えてならない。

 心の幹の部分を強くしておくために、必要なことだと思う。