【街景寸考】「映画音楽」のこと

 Date:2017年11月15日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 初めて映画音楽というものに関心を抱いたのは、映画「サウンド・オブ・ミュージック」を観たときだった。高校時代、学校側が催した鑑賞映画だった。体育会系の硬派だったわたしは、映画館の入口でその映画のポスターを見たときはがっかりした。前掛けをした若い女性が、アルプスを望む丘の上で踊っているポスターだったからだ。

 女子が好んで観るような軟弱な映画に違いないと決め込み、暗い映画館で退屈する自分を想像することしかできなかった。学校が催す映画鑑賞なので戦争物やサスペンス物は期待できなかったが、せめて記録物とか伝記物の映画であってほしかった。

 ところが、最初の間はふてくされながら観ていたが、徐々に物語の筋や音楽に吸い寄せられていった。「ドレミの歌」がこれほど楽しい歌だったのかと感心し、トラップ家の子どもたちが歌う「さよなら、ごきげんよう」では、愛おしい感情が胸の内から湧き上がってきた。「エーデルワイス」の歌からは、故郷を思うことの大切さを教えられた気がした。

 映画館を出た後も、印象に残った場面や歌われていた曲が何度も頭の中を駆け巡った。3日後には「エーデルワイス」をそらで歌えるまでになっていた。オープニング曲のメロディーもしっかり記憶され、遠くの山々を眺めながら口ずさんでいた。

 硬派の面目はどこかへ飛んでいた。

 この影響を受け、学生時代はよく洋画を観に行くようになった。好きになった映画音楽に聞き惚れ、ラジオから流れてくればハモっていた。今でも直ぐ浮かんでくる当時の映画音楽は「夕日のガンマン」「雨の訪問者」「ひまわり」「ガラスの部屋」「あの愛をふたたび」等々だ。映画音楽を奏でる楽団も覚えた。「フランシス・レイ」「マントヴァーニ」「パーシー・フェイス」「レイモン・ルフェーブル」だ。渋谷公会堂まで聴きに行ったこともあった。

 映画音楽が好きになるにつれ、映画が映像とセリフだけでは成り立たないことが確信できた。映像やセリフに上手く合った音楽を流すことで、情緒や感動が増幅できるのだと。相乗効果である。

 今夏、全国花火競技大会(大曲の花火)が催されているところをテレビで見た。花火は大音響のBGMと共に演出されていた。ところが、その両者は少しも調和することなく、むしろお互いの良さを打ち消し合っているように感じたのである。テレビ画面で見る限りではあるが、夜空に浮かぶ大規模な花火の連続が、何ともいただけない代物になっているのが残念でならなかった。

 花火は少し遠目に自分の心象風景と重ね合わせて見る方が、わたしは好きである。