【街景寸考】自己啓発本に変化が

 Date:2018年04月25日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 書店の店先には人気を集めている小説やエッセイに混じって、自己啓発本も平積みにして並べられている。それらの自己啓発本を見回してみると、共通するキーワードだと思える題名が増えていることに気がつく。

 それらの一部を列挙してみる。「逃げる力」「集中力はいらない」「雑に生きてみないか」「キミのままでいい」「ズボラな老後のすすめ」等々だ。これらに共通するのは「人生、そんなにクソ真面目にがんばらなくてもいい」という言葉である。

 わたしが青年期の頃は、高度経済成長期の真っただ中にあったということもあり、少しでも良い暮らしができるよう、国民みんなが懸命にがんばっていた時代だった。誰もが「がんばれ」「がんばろう」を合言葉にしていた時代である。

 当然ながら、この時代の自己啓発本は数こそ今ほどではなかったが、「がんばれ」「がんばろう」をキーワードとした題名が多かったように記憶している。例えば「道をひらく」「大物になる本」「自分を高める七つの法則」等々だ。少年向け漫画でも「巨人の星」や「あしたのジョー」など、いわゆる努力と根性をテーマにしたスポ根漫画が人気を集めた。テレビから頻繁に聞こえていたCМソングも「24時間、戦えますか?」だった。
ところが、バブル景気が崩壊した頃から、「がんばろう」という風潮に変化が生じてきたように思う。「がんばらなくてもいい」という啓発への変化である。不登校の子どもたちのためにフリースクール等の受皿を積極的につくるようになってきたのも、この変化と無関係ではなかろう。「行きたくない学校へ、無理に行かせるのは却ってよくない」という考え方が正論になってきた。

 「がんばらなくてもいい」という風潮への変化は、頑張り過ぎてきた当然の帰結かもしれないが、そこまで単純なものでもなかろう。潤いのない過酷な競争社会に人々が拒否反応を示してきたとも考えられる。がんばっても報われなくなった社会にウンザリ感、不透明感が生じてきたのかもしれない。あるいは、ただの平和ボケによるものなのかもしれない。

 「がんばれ」から「がんばらなくてもいい」という変化は、実は日本人にとって大事な転換期にあるのではないかと思うことがある。その一方で、かつての「ゆとり教育」のように表面的な部分でしか消化されずに失敗してしまったように、「がんばらなくてもいい」という啓発も、これと似た過ちを犯すのではないかという危惧の念もある。