【街景寸考】引越しの現場で垣間見たこと

 Date:2019年10月02日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 29歳の頃、1年ほどトラックの運転手をしていたことがあった。積載量2トンと4トンのトラックを運転していた。積み荷は主に、建設用の防水材料やエレベーターの部品などだったが、ときどき土曜日や日曜日に引越しの仕事で出勤することがあった。

 引越しの仕事で大変だったのは、エレベーターのない4階建ての最上階にある住居への引越しだった。4階の高さになると上がって行くだけでも息が切れるのに、引越しの仕事では家財道具を抱えて何度も上がって行かなければならない。特に家具や家電などの大きな荷物の場合は、二人がかりでも困難を極めた。3階までは何とか我慢できても、あと1階分を上がるには相当の根性を要した。

 引越しの仕事をしていると、興味深い事実を知ることになった。それは、あることで客層に歴然とした違いがあるということだった。あることとは、「心づけ」のことである。客が高齢の低所得者のときに限って、引越し代金とは別に「これ、ほんの気持ちですけど」と言って「心づけ」をくれることが多かったのである。例えば、間借りで猫と暮らす高齢の女性だったり、古いアパートの6畳一間で年金暮らしをしている高齢の男性だったりというような客層である。

 「心づけ」は人夫一人に千円ほどだったが、人夫が3人だと3千円を要することになり、高齢の低所得者にとっては決して少なくない額だったはずである。それでも「心づけ」という余分なお金を人夫に渡そうとしたのは、「引越しを手伝ってもらった」という感謝の気持ちを表したかったからだと思える。そこには「同類相哀れむ」の情があったのかもしれない。あるいは義理人情の濃かった時代の名残だったのかもしれない。

 客が金持ち層の場合はどうだったかと言えば、大抵は「心づけ」はもちろん、水一杯出して貰えなかったのがほとんどだった。労働の対価としての引越し代を支払いさえすれば済むという、いかにも心の乾いた筋論がそこには見え隠れしているような感がした。この場合の筋論とは、経済合理性に基づく物の考え方のことである。

 わたしは、「心づけ」をくれた客層とくれなかった客層のことを、ここで意地悪く比較しようとしているわけではない。ただ、引越しの現場で垣間見た人情の違いの面白さを言いたかっただけである。

 当時、この「心づけ」のことを知人に話したら、彼は即座に「だから金持ちは金が貯まるんだよ」と言ったのである。この単純明快な言葉に、わたしはいたく感心したのである。

 「金なき者は金を使う」という諺がある。金持ちは金に執着して金を惜しみ、金のない者はかえって金に執着せず浪費する、というような意味である。わたしの場合は、典型的に後者のタイプである。