【街景寸考】不気味に思うこと

 Date:2019年11月20日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 1956年、この年の経済白書には「もはや戦後ではない」という文言が記載されていた。この年から18年間連続して年10%以上の経済成長を達成し、世界第2位の経済大国に上り詰めた。わたしが小中高生、浪人生、大学生として過ごした時代でもあった。

 高度経済成長の幕が明けた頃、わたしは小学校低学年だった。この頃すでに電気洗濯機、白黒テレビ、電気冷蔵庫を「三種の神器」と呼び、庶民は新時代の生活必需品として先を争うように買い求めていた。今はどこの家庭でも電化製品が溢れているので、単に冷蔵庫、洗濯機などと言っているが、当時は「電気」という言葉にちょっとしたステータスが感じられる時代だったので、「電気」冷蔵庫、「電気」洗濯機などと呼んでいた。

 わたしが生まれ育った炭鉱長屋の一帯では、最初に白黒テレビが普及し、次いで電気冷蔵庫、電気洗濯機の順で広まっていた。洗濯機が後回しになったのは、それまで女房たちが当たり前のようにやってきたことだったので、買うことに抵抗感があったのかもしれない。同時に、炭鉱の共同浴場に併設された洗濯場に行けば、いくらでも豊富にお湯を使うことができたという地域事情もあった。

 我が家にテレビが置かれたのは、ずっと後だった。それまでは他所の家に遠慮なく上がり込んで見せてもらっていた。「すみましぇーん、テレビみしぇて下さい」と玄関前で叫ぶだけでよく、まず断られることはなかった。テレビの値段は当時で7万円くらいだった。炭鉱夫の給与が月2万円余だったので、給与の3倍は超えていたことになる。現金一括払いができる家庭はなく、ほとんどが月賦という方法で買っていた。

 1960年代後半になると、それまでの三種の神器に代わって「3C」という宣伝文句が世に出回るようになった。3Cとはカラーテレビ、クーラー、カー(自家用車)の頭文字のことだ。当時の我が家では3Cのどれ一つとして買える経済力はなかったが、カラーテレビくらいなら高校を卒業して働けば買えるような気がしていた。一方、クーラーや自家用車は雲の上の存在であり、生涯自分とは縁のないものだと思っていた。

 あれから50年ほどが経った。近年は「デジタル三種の神器」や「キッチン三種の神器」と呼ばれる商品があるらしいが、何のことだか分からない。AI(人工知能)を使った三種の神器なるものも直に登場してきそうな気配もある。

 わたしの場合、こうした時代の流れとはなるべく距離をおいた生活をしているが、それでも今風の製品を買わざるを得ないことがある。ところが、買うことになっても製品の仕様書が難しくて理解できないため、どれも「猫に小判」の状態になる。

 時代に取り残されるという不安はどこかにあるが、それ以上に人間の尺度を超えて突き進む便利至上主義の方が不気味でならない。