【街景寸考】ツクツクボウシのこと

 Date:2021年09月08日10時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 8月30日、ジョギングをする為いつもの運動公園に行ったときのこと。桜並木になった外周をゆっくり走り始めたときに、何となくいつもと違う空気を感じたのである。この空気感は何だろうかと思い、立ち止まって周囲を見回して気づいた。晩夏の昼下がりというのに、辺りはまるで水を打ったように静かだったのだ。

 前日までは桜の木のあちこちで夏の終わりを惜しむように力強く鳴いていたツクツクボウシが、まるで申し合わせたかのように鳴き止んでいた。目の前で起こっていることが不思議に思え、狐につままれたような気分だった。

 前日までの光景との違いにどうしても納得ができなかったわたしは、今度はじっと両耳を澄まして辺りを窺ってみた。すると遠く離れた山の麓辺りから、微かにツクツクボウシの鳴き声が聞こえてきた。それでも1匹か2匹くらいの鳴き声だったので、この静けさが相当の範囲まで広がっていることを確認し、わたしはもう一度驚いた。

 ツクツクボウシは揃ってどこに飛んで行ったのだろうかと考えてみた。2週間ほどの命を燃やし尽くす前にどこかそれぞれに死に場所を求めて飛び立って行ったのだろうかと考えたり、たまたまこの日だけに起きた現象だったのだろうかと考えたりしたが、どれも見当違いのように思えた。

 そう言えば、自宅近くの森から早朝や夕方の涼しい時間帯に「カナカナ」と聞こえていたヒグラシの鳴き声も、同じようにこの日は聞いた気がしなかった。ヒグラシは晩夏に登場するという印象が強く、俳句の世界でも秋の季語として使われている蝉である。しかし実際は、夏の始めからずっと鳴いているということを最近知った。

 初夏から盛夏にかけてのヒグラシの存在感が薄いのは、おそらく一日中騒がしく鳴き叫んでいるアブラゼミやクマゼミ、ニイニイゼミ等の声にかき消されているからだと思う。その点では、ツクツクボウシは明らかに盆過ぎの晩夏だけに鳴く蝉だ。

 小中学生の頃、「ツクツクボウシ」の鳴き声が聞こえてくると、「あぁ、もうすぐ夏休みが終わってしまうー」と嘆き、ほとんど手をつけていない「夏休みの友」や自由研究、更にはハンコの押されていないラジオ体操のカードのことなどが頭に浮かんできて憂鬱な気分になり、ご飯を食べていても砂を噛んでいるような精神状態に陥っていた。

 今はどうか。すでに学校や職場から離れて隠居の身になってからは、余裕の気分でツクツクボウシの鳴き声に耳を傾けることができるようになった。余裕の気分とは言え、どこか物悲しさを覚えるようにもなった。

 余裕という言葉が無意識に出てきたのは、小中学校時代に経験してきたあの憂鬱な8月の終わりの日々からの開放感が未だ記憶されているからに違いない。