【四字熟語の処世術】「鼓腹撃壌」(こふくげきじょう)

 Date:2015年09月24日12時07分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任


 なんとも世の中が騒々しい。安全保障関連法案をめぐる国会審議を阻止しようとする人々によるデモが国会周辺を中心に全国各地で展開されているからだ。デモには高校生や大学生が主催するグループも参加しており、特に大学生を中心とするSEALDsの若者たちが注目を集めている。ここ近年、政治に無関心な若者が多いことが問題視されていただけに、この活動が脚光をあびる結果になったのだろう。

 学生運動といえば、小学校6年生の卒業文集で、東大安田講堂事件について子供ながらに作文を書いたのを覚えている。事件の背景などは知る由もなく、ただ、テレビに映し出される角棒を持ち、ヘルメットを被った学生達が大学を占拠し、警官隊ともみ合う映像を見て、「なんで大学生にもなって、警官隊と争っているのだろう…」という単純な疑問を綴った内容だったと微かに記憶している。

 自身が大学に入った頃には、こうした学生運動も沈静化し、何に対しても無気力・無関心・無責任な三無主義、さらに無感動を加えた四無主義と言われるシラケ世代が台頭しはじめた時代だった。学生運動が活発だった時代は荒れる若者が自身のパワーをコントロールできないことに世間は批判的な目を向けたが、この時代には静まりかえった若者のエネルギーを引き出せないもどかしさから、逆の面で彼らに冷たい視線を投げていた。

 あれから40年以上が過ぎ、久しぶりに熱くなった学生達を目にしているが、世間の反応は二分されているようだ。ただ批判する側も、擁護する側も、若者が今の時代に、今の政治に関心を寄せ始めたことについては、肯定的に捉えているように思う。次代を担う若者が四無主義に陥っているようでは、心もとない限りだからだろう。

 ところで、中国の故事に「鼓腹撃壌」の話がある。太平の世を築いた聖王、堯帝(ぎょうてい)の御代の出来事だ。治世に当たって50年。真に天下は治まっているのかどうか…。粗末な服に身を包み、庶民の暮らしをお忍びで見に行った堯帝が、農夫が畑で土を踏み、お腹を叩いて歌うのを聴いた話に由来する。

 「日が出れば畑仕事に出かけ、日が暮れれば家に帰って休む。喉が渇けば井戸を掘ってしのぐし、お腹が空けば田畑の実りで満たせばいい。帝の力などわしらの暮らしには何の関係もない…」

 この歌を聴いた堯帝は、この農夫を怒るどころか、民がなんの不安もなく生活している様子を知り、自身の治世に安心されたそうだ。まさに老子のいう徳高き方の治世は「為すこと無くして為らざるは無し」である。

 民が政に無関心であるほどに世の中が治まっているというのは、我々がこの40年以上にわたって享受してきた「平和ボケ」と言われることもある時代をみればわかる気がする。そして今、若者たちが政治に関心を寄せ始めたということは、この安穏とした時代が終わりを告げることの象徴のようでもある。