【四字熟語の処世術】百花繚乱

 Date:2016年03月30日12時10分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任


 近くの山道にある桜の花が咲き始めた。我が家の庭にも妻と娘夫婦が植えたパンジーやチューリップなどが色とりどりの花を咲させ、その美しさを誇っている。この季節、日本中が百花繚乱の鮮やかさに包まれる。冬の寒さに耐えた花の蕾は、内に秘めたエネルギーを外に向かって一斉に放ち開花する。その気の勢いに人は時に心を激しく揺さぶられ、時に優しく癒やされる。春の花が持つ不思議な魅力の一つである。

 中でも桜の花は日本人の心に特別の感情を生まれさせる。桜をテーマに作られた歌には多くのヒット曲がある。先日もテレビでこうした桜ソングのベストランキングを放映していたが、確かに聞き覚えのある曲がたくさんあった。桜の咲く頃が、日本ではちょうど卒業や入学式のシーズンと重なるため、それぞれの思い出と重なって感情を揺さぶるのかもしれない。

 桜ソングと言えば、子供の頃からよく耳にした「同期の桜」が心に残っている。太平洋戦争当時、よく歌われた軍歌のようだが、桜の散り際の良さに、軍人としての潔さを重ねた歌としてヒットしたのだろう。私は父が鶴田浩二の歌うこの歌をよく聴いていたから覚えてしまったのだが、子供ながらに、「咲いた花なら散るのは覚悟…」という歌詞に、どこか格好良さを感じていたような気がする。

 さて、種々の花々が咲き乱れることをいう「百花繚乱」には、転じて優れた業績を持つ人物が一時期に数多く現れることも意味している。幕末から明治にかけては、まさに百花咲き乱れるごとくに、維新の志士が陸続として歴史の表舞台に登場し、近代日本の礎を築いたことは周知の事実である。さらに、その志士を陰ながら命がけで支えた人たちがいたことも思えば、数え切れない無心の花々が一時期に一斉に咲き、そして散っていったのだろう。

 時代が人を作るのか、人が時代を創るのか、考え方は色々あるだろうが、人の質が時代によって大きく変わるとは思えない。与えられた才能を十分に生かせる場が存在したかどうかが鍵ではないかと思う。そういう意味で幕末は誰もが同じスタートラインに立ち、持てる才能を十分に発揮できるチャンスを掴むことができた時代だったのだろう。もちろん、掴もうとする意思のあるなしは人によるのだが…。

 才のある人材はいつの時代も多くいるのだと思う。龍は時期を得れば天に昇るが、時に合わなければ伏して海に眠っているという。天に昇るも海中に伏すも同じ龍である。天に昇るも良し、海中に伏すも良し。真に才のある人はことさらその才を露わにすることもない。論語に「人知らずしていきどおらず、また君子ならずや」とある。人に認められようと出番を待つのではない。時の流れに身を委ね、ただ時機を見ているのだ。きっと今の時代もそうした隠れた才の花々が、春到来の機をじっと見つめているに違いない。