【街景寸考】まずは早メシから

 Date:2018年08月15日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 子どもの頃、「早メシ、早グソ」という言葉を何度も聞いた。近年はあまりこの言葉を聞かなくなった。以前ほど「早メシ、早グソ」が要求されなくなったのか、それとも汚い言葉だと思われて使わないようになったのか。少なくとも昭和の頃までは、食事やウンコの時間を惜しんで少しでも多く仕事をするのが男の美徳だとして、使われていた言葉だった。

 この時代、小学生だったわたしも食べるのが速かった。実際、クラスでも他の子どもたちより弁当や給食を食べ終わるのは早かった。わたしが早メシをするようになったのは、間違いなく母や叔父による影響からだ。この二人はいつも忙しそうに食事をしていた。特にお茶漬けをかきこむときは、まるで機関銃を連射しているような動きに見えた。

 以前ほどではないが、わたしの早メシは今もあまり変わっていない。その証拠にカミさんと外食をすると、「ゆっくり食べてね」と釘を刺されることが多い。それでも、いざ箸を持ってしまうとスイッチが入ったようになり、いつもの早いペースで食べてしまう。途中でカミさんの言葉が頭をよぎっても、もはや速度を調整することはできない。

 食べるのも速いが、メニューを決めるのも速い。外食先などでテーブルに着くか着かないかに決めている。連れがいるときは、その速さに「エッ、もう決めたんですか」と驚かれる。それくらい速い。メニューを見ながら吟味することは、ほとんどない。食堂の入口付近にメニューのディスプレイがあるときは、それを横目にチラッと見ただけで決めている。

 注文をするのが速いのは、外食先で食べるレパートリーが少ないということがある。だから選択するのに時間がかからない。少しでも早く空腹を満たしたいという強い欲求もある。加えて、メニューをわざわざ見るのが面倒くさいという思いもある。

 カミさんの場合は、わたしとはまるで対照的だ。メニューを入念に見ながら吟味に吟味を重ねている。ようやく食べる物が決まっても、その後がある。注文するや食べ物のことで何かと店員さんに質問をするのだ。このやりとりが短ければよいが、たびたび長くなる。その間、わたしは空腹のままじっと耐え忍んでいなければならない。

 もっとも、最近はそんなカミさんを再評価するようになった。ゆっくり食べることも、注文までに時間をかけるのも、カミさん流の食の楽しみ方なんだと。晩年を迎えたわたしも、今後はただ腹を満たすための食ではなく、楽しむための食にしようと思う。

 まずは、早メシを見直し、外食先ではメニューに目を通すことから始めたい。