【街景寸考】怒りのCМ退治

 Date:2024年07月08日11時43分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 民放テレビのCМの多さには、いつもうんざりさせられている。観たい番組を録画しておけばCМを飛ばして観ることができるのだが、場当たり的な性分が祟って証懲りもなく同じ後悔を繰り返している。

 自業自得の仕儀ではあるが、夢中に観ていた番組の途中で割り込んでこられると、無神経な扱いを受けたときのような気分になり尖がってしまう。特に、シリアスな番組を観ている最中に茶化したようなCМ映像が急に割り込んできたときは、「何だ、この野郎っ!」と叫んでリモコンを握り、画面に向けて賊を退治するような感情になってチャンネルを変えることがある。

 昨今はこういう不快な気分になるのが嫌なので、NHKやEテレ、BS・NHKから先に観たい番組を探し、特になければ民放の番組を録画するようできるだけ心掛けている。

 テレビが普及し始めたのは、昭和30年代に入ってからだ。まだ白黒テレビだった。当時の人々は番組本編だけでなく、CМで紹介される商品はもちろん、多種多彩なCМの映像に興味や憧れを持ちながら観ていた。経済が成長して行く中で庶民の所得も増えていく時代であり、テレビCМは購買意欲を高める大きな役割を担っていた。

 大人たちは主に冷蔵庫、洗濯機、掃除機など家電製品のCМに心を揺さぶられ、子どもたちは「マーブルチョコ」や「明治製菓の板チョコ」、「バイヤリース・オレンジ」、「渡辺のジュースの素」などのCМに心躍らされていた。

 更に、ミツワ石鹸の「♪ワッワッワー輪が三つ」や、不二家の「♪ミルキーはママの味」、松下電器の「♪明るいナショナル・・」、ヤンマーディゼルの「♪ぼくの名前はヤン坊・・」などのCМソングに親しみを持ち、家族一緒に口ずさんでいた。

 思うに、日本が戦後復興を経て、これから明るい幸せな国になって行きそうな夢や憧れを抱かせてくれていたのが当時のテレビCМだった。だから、番組の途中に割り込んできても不快感や拒否感などのような感情は生じることなく、むしろ積極的にCМを見ようとしていた思いもあったように思う。

 現在はどうか。食生活はもちろん、家電製品や電子機器などの生活用品に十分満たされた世帯が多くを占めるようになって国内消費は限界に達し、加えて非正規雇用世帯の拡大によって高齢者層、若年層を中心に貧困層が増え続けてきたため、テレビCМの影響力は確実に低下してきた。おまけにスマホの普及等でテレビ離れも進んでいる。

 このためテレビCМも購買層を絞った商品が増えてきた。その典型例が、生命保険やサプリメン、老女向け化粧品、紙パンツ、天国社など、高齢者をカモにしたCМだ。

 CМに対するわたしの不快感には、自分がカモにされている高齢者の一人であるというひがみ根性も含まれているのかもしれない。今はこのひがみ根性を逆手に取り、高齢者向け商品はナツメロDVDを除いて一切背を向ける生活を心掛けるようにしている。お陰で健康年齢が伸びている気がしないでもない。