【四字熟語の処世術】「良妻賢母」(りょうさいけんぼ)

 Date:2017年11月08日11時01分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任


 トランプアメリカ大統領の訪日を前に、娘で大統領補佐官のイヴァンカさんが来日した。その端麗な容姿と世界に影響を与える女性の一人ということもあって、どこのテレビ局も連日報道している。そんな中、あるテレビ局が彼女を評して「良妻賢母」と紹介していた。外見からは伺えないが、三人の子の母でもある。

 「良妻賢母」…夫に対してはよい妻であり、子に対しては賢い母であること、と辞書にある。

 一方で、この言葉が戦前の儒教的教育方針、すなわち「男尊女卑」の考えに起因しているとの指摘もあり、辞書によって良いイメージで紹介していないものもある。解説を読む限り、儒教の教えがまるで間違っているかのような評だが、自分たちに都合良く解釈してきた人たちにこそ問題があると見るべきではないのだろうか。

 それはさておき、良き妻、賢き母とはどのような女性を言うのだろうか。良妻賢母もだが、良夫賢父も同じだ。両者は分けて考えることは出来ない。それは真の男女平等とは如何なるものかの問いにも通じるはずだ。

 男性と女性では肉体的な違いによる「区別」が存在する。それは「差別」とは違う。陰陽思想の世界では、男性は陽であり、女性は陰であると言われる。そういうとすでに陰陽に優劣・先後をイメージする人もいようが、決してそうではない。人は太陽の下だけで一生を過ごすことは出来ない。同時に月明かりの中だけで生涯を送ることも出来ないのだ。昼と夜が交互に訪れ、四季を作り、その巡りの中で万物は産まれ育てられる。万物を産み育てるのは大地だ。故に母なる大地は慈しみに充ちていると喩えられる。天はその大地に陽の恵みを注ぎ、万物の成長を促す。どちらが尊いのではなく、どちらも尊く、どちらが欠けても万物は生まれ育つことはない。互いが互いを必要とし尊重する。人もこの天地自然の営みに学ぶことが出来るなら、男女の同権、平等なることを知り、性の違いによる役割の違いを認め、与えられた役割を全うすることで同じ権利を持ち得るのだと思う。男であれ、女であれ、中途半場にしか自分の役割を果たせていないのなら、決して平等を口にすることは出来ない。

 良き夫、良き妻とは築く家庭の中での自身の役割をわきまえ、その役割を全うするために全力を尽くすこと。賢き父、母とは子の成長を守り、助け、自立へと導き、決して成長の妨げとならないことだ。

 「賢い」には能あっても爪を隠すような、謙虚で控えめ、表に現れず陰にあって支え、自身の成長以上に人の成長を望み、人の喜びを自身の喜びとできるような、そんな徳ある人に与えらる称号のように思える。

 娘達にはこんな良妻賢母であって欲しいと願う。