【街景寸考】カミナリ親父のこと

 Date:2019年02月13日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 子どもの頃に読んでいた漫画には、よくカミナリ親父が登場していた。子どもたちがバットで打ったボールが家の窓ガラスを割り、その家から飛び出してきたカミナリ親父に「コラッ!」と大声で怒鳴られるという場面が多かった。

 わたしが生まれ育った炭鉱長屋の界隈にも、カミナリ親父があちこちにいた。畑のさつま芋を無断で掘ったり、塀越しに他所の家の柿やイチジクをちぎったり、共同浴場の湯船でバタバタと泳いだときなどこっぴどく怒鳴られた。悪戯が過ぎて思い切り頭を叩かれたこともあった。

 怒鳴られたのは、悪さをしたときだけではない。高い塀に上って遊んでいたり、ボタ山に行く途中のトロッコに飛び乗ったり、欄干のない橋の上で取っ組み合いをしたときも、「ばか、危なかろうが!」「コラッ、何しょっとか!」と怒鳴られた。

 昨今、他所の子どもを叱る(諭す)大人が少なくなってきた。更には、自分の子どもさえ叱らない親父が増えてきた。昭和30年代当時は、「子は国の宝」という考えがまだ社会に残っており、親や教師だけでなく他所の大人たちも子どもを叱るという光景がここそこで見ることができた。こうした大人たちの行動が、子どもたちの社会性や人格を育てることに役立ってきたことは間違いない。

 今、こうした大人たちが減ってきた。その背景の一つに地域内での家族同士のつながりが薄れ、各家庭が孤立するようになってきたことが挙げられる。二つ目は子どもたちの遊び場が減ってきたために、地域で遊ぶ子どもたちの姿が少なくなり、これに比例して悪さなどをする子どもたちも減ってきたということがある。三つ目は、前出の「子は国の宝」という考えが廃れ、他所の子どもに関心を持たなくなってきたということだ。

 カミナリ親父に話を戻す。昭和30年代、40年代に見てきたカミナリ親父たちの中には、太平洋戦争に出兵した元復員兵もたくさんいたはずである。カミナリ親父のあの異常なまでの感情的爆発が、悲惨な戦争体験から受けたPТSD(心的外傷後ストレス障害)の症状だったという見方がある。時代的な流れからして、そう推察しても不思議はない。

 そうだとすれば、カミナリ親父たちにあらためて「ごめんなさい」と心から詫びなくてはならない。カミナリ親父から怒鳴られるたびに恨めしく思い、「クソ親父!」と憎まれ口をたたきながら走って逃げていたからだ。PTSDには色々な症状があるが、「すぐに怒りだす」という症状も確かにある。頑固で、気が短いだけの性格ではなかったのだ。フラッシュバックの恐怖が、カミナリ親父の心の奥底に潜んでいたのだ。

 そう言えば、漫画に登場するカミナリ親父は、読者の目からは愛すべき親父としてユーモラスに描かれているように見えた。作者から優しい気持ちが注がれていたのかもしれない。