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【街景寸考】白蓮のこと、伝右衛門のこと
Date:2019年04月10日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
先日、車でカミさんと北九州へ行く途中の飯塚で、「旧伊藤伝右衛門邸」の案内標識が目に入った。伝右衛門に関心があったわけではないが、NHKの連続テレビ小説「花子とアン」で伝右衛門の妻として登場した柳原白蓮のことが頭に浮かび、寄り道をすることにした。
このテレビ小説を通して、白蓮が天皇家の遠縁にあたる伯爵家の娘であり、歌人でもあったということ、大正時代の三美人の一人だと言われていたこと、炭鉱王の伝右衛門の妻になった後、社会運動家の青年と駆け落ちをした女性だということを知った。白蓮は駆け落ちの後、新聞紙上で伝右衛門あてに絶縁宣言までしている。大正10年のことだ。
旧邸内を案内してくれたのは高齢の男性ボランティアだった。彼は建物に入ったところで、玄関口のことを早速説明し始めた。嫁いできた白蓮のために、伝右衛門の指示により作り直したということだった。身長148cmの小柄な白蓮が和服を着て玄関を行き来するには、上がり框が高過ぎるというのが理由だった。
大正中期から昭和初期に造られたこの旧邸宅は、有形文化財にも指定されていた。当日はひな祭りの時期に合わせて、部屋ごとに豪奢なひな人形が飾られていた。長い中廊下を東端まで行くと、左手に引き戸が空けっ放しになった便所があった。便所の中に目をやると、白い金隠しが目に入ってきた。わたしはすかさず、「白蓮さんが使っていた便所ですか」とボランティアに尋ねたら、「いいえ、2階にあるトイレを使っていました」と答えた。
その便所のわきにある階段を上がったところが、白蓮が使っていたという部屋だった。部屋は20畳ほどあり、北側のガラス戸越しには美しい大庭園が広がっていた。わたしはその庭園を眺めた後、便所らしき出入口を探してみたが、分からなかった。次に案内されたのは8人ほどが囲む食堂だった。その食堂からも大庭園を見渡すことができた。
食堂そばにある勝手口と接するように白壁土蔵の入口が見えた。その造りが奇妙に思えたので、そのことを尋ねると「敵対する暴漢が屋敷に侵入したときに伝右衛門が直ぐ非難できるよう、勝手口から離れていた土蔵を母屋にひっつけたのです」ということだった。その土蔵の中には、山本作兵衛の炭坑記録画が10数点ほど展示されていた。
見学を終えての帰り際、別のボランティアに白蓮の自室に便所が見当たらなかったことを言うと、「2階にトイレはありません」ときっぱり答えた。白蓮の便所のことでこれ以上追求するのも変に見られると思い、わたしは「ありがとう」とだけ言って往来に出た。断っておくが、わたしは白蓮の便所に特別な関心を持ったわけではなく、あらぬ妄想に駆られていたわけでもない。白蓮の実像に少しでも近づいてみたいと思っただけである。
伝右衛門は白蓮の駆け落ちのことで、「末代まで一言の弁明も無用」と一族に言い渡し、迅速に身を引いたという。気は荒いが男気のある、川筋もんの典型だったようだ。