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【街景寸考】カミさんの特技
Date:2019年06月12日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
家の中に蚊が飛び回る季節になった。毎夜、1、2匹の蚊を相手に睨み合いをしている。そのとき、わたしは張り込みをする刑事のような目つきになっているのではないか。飛んでいる蚊が目に入った途端、「パチン」と素早く両手を合わせるが、敵もさるもの十中八九逃げられる。逃げた先を目で追うが、忍者のように現れたり消えたりし、そのうち姿を隠してしまう。そしてまたふいに現れ、同じ忍術を繰り返す。
もっとも、蚊にもてあそばれているのはわたしだけであり、カミさんの場合は大分異なる。「蚊キラー」と呼んでもよいくらいの腕前だ。運動神経の良さでは、明らかにわたしには遠く及ばないはずなのに、蚊を殺すときの反射神経だけは特別の能力があるように見える。
その所作は、熟練者よろしく動きに少しの無駄もない。まるで名だたる剣豪のような凄みが伝わってくる。普段は生き物の命を重んじるカミさんとは、まるで別人である。
高校生の頃のわたしは、体育で習う種目はどれも他の生徒より優れ、教師の代役を任されることも珍しくなかった。それほど運動神経が発達していたわたしをしても、蚊を殺すことに関してカミさんに劣るという事実に納得しかねてきた。
そして思い至ったのは、カミさんにとって蚊は天敵のような存在ではなかろうかということだった。そういう理屈を持ってくるしか、納得のしようがないのである。
昭和30年代、蚊が飛び交う季節になると、ほとんどの家庭では蚊帳(かや)を吊って寝ていた。蚊帳とは、蚊刺されなどから身を守るための網目のテントのようなものだ。蚊帳は、かき氷や風鈴と並ぶ夏の風物詩だった。
当時は夜も家を開け放ったまま寝ていたので、ときおり吹いてくる静かな風に蚊帳が揺れ、敷布団に寝転んだままその瞬時の清涼感と戯れるのがわたしは好きだった。蚊の不快な羽音がいくら聞こえてきても、恐れることもなく安心して寝入ることができた。
昨今、家の中を飛ぶ蚊は極端に少なくなった。地域の衛生環境が良くなり、気密性の高い住宅が供給されてきたからだ。更には猛暑日が多くなったということも要因にあるようだ。それでも、夏になると毎夜1、2匹の蚊ではあるが、睨み合いを余儀なくされている。
わざわざ蚊帳を買ってきて吊るまでのことではないが、殺虫剤を噴霧しようとすれば「人体にも良くない」と言ってカミさんが嫌うので、今のところ両手で叩き殺す方法しかない。
大人になった今でも、蚊帳を吊ってみたいという願望がある。元気に明滅するホタルを2、3匹蚊帳の中に放し、それを眺めながら眠りに就いてみたいのだ。