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【街景寸考】「事なかれ主義」のこと
Date:2019年07月03日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
「事なかれ主義」。平たく言えば、他人との関係において常に波風を立てず、意見の対立を極力避け、いつも平穏無事でありたいとする生き方のことだ。これはある意味、人生を達観している人のようにも思えるので、わたしのようなせっかちで負けん気の強い性格の者は、とてもこういう境地で生きて行けそうにない。他方、同僚などから「あいつは事なかれ主義だ」と陰口を叩かれるような場合は、保身、優柔不断、卑怯など、その人間性を低く評価したい感情が込められている。
「事なかれ主義」という言葉からついでに思い出したことがある。かつてテレビ時代劇で人気のあった木枯し紋次郎の「あっしには関わりのねぇことでござんす」というセリフである。このセリフも、面倒な事には関わりたくないという意味があり、「事なかれ主義」に類した言葉だと言っていい。
木枯し紋次郎のセリフと関連があったかどうかは分からないが、この時代の若者たちを指して三無主義と言っていたときがある。三無主義の三無とは、無気力、無関心、無責任のことだ。三無主義という言葉が生まれたのは、連合赤軍によるあさま山荘事件の後、学生運動が急速に衰え、無力感や失望感が広まったことと無関係ではなかったはずだ。
更にこれ以後、若者たちを中心に世相の動きに関心を持たず、何に対しても熱くなりきれず、興が冷めたように振る舞う傾向が強くなってきた。こうした若者たちを「しらけ世代」とも呼んでいた。この言葉には、戦後の食糧難を知らず苦労もなく育ってきた世代を揶揄する意味も含まれていたように思う。木枯し紋次郎のセリフも、三無主義や「しらけ世代」も、「事なかれ主義」とどこかで繋がっているように思える。
「事なかれ主義」という言い方はしても、「主義」というほどの考えを持った者はいないはずだ。単に他人との関係で煩わしさを避けていたいという、我が儘によるものでしかない場合がほとんどだ。他人との意見の対立を避けるので、一見「好い人」のように思われるが、実はそれが無責任や無神経さの裏返しによるものだったことに気づかされる例は多い。
断っておくが、「事なかれ主義」を否定しようとしているわけではない。誰しも他人との意見の対立は避けていたいと思い、他人と煩わしい関係にはなりたくないと思うものだ。問題は、時と場合により使い分けができるかどうかだ。事を荒立てる価値のない場合もあれば、事を荒立てても向かい合わなければならない場合もある。
立場上、周囲から責任感や使命感を求められているような場合には、やるべきことを棚上げしてはならず、先送りにすることがあってはならない。反対に、飲み会などの交流を楽しむような場では、「事なかれ主義」で対処しても何ら問題ない。その辺の判断基準となるのは、その自分の行動が卑怯であるかないかではないか。