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【街景寸考】出不精のこと
Date:2019年07月10日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
わたしの場合、たまにどこか遠くへ旅をしてみたいと思うことはあっても、実際に実行に至ることはほとんどない。そうかと言って、自分が出不精かと言えばそうでもない。
例えば、車で1、2時間かかるところでも、後先かまわず出かけてしまうという性分でもある。カミさんから買物などで運転を頼まれたり、孫娘たちからどこかの公園に連れて行ってくれとせがまれたりしても、億劫になることはない。期待に応えてやりたいという思いもあるが、ついでに気分転換を図ろうという思いもあるからだ。
ただし、わたしの場合、何の準備も必要のない外出でなければならない。泊りがけの旅をめったにしてこなかったのは、あれやこれやと煩雑な準備をするのが大の苦手だからである。加えて、重たいバッグやリュックを抱えて歩き回る自分を想像しただけで、旅への意欲が萎えてしまう性分でもある。
漫画ドラえもんが使う「どこでもドア」が本当にあれば、わたしは迷うことなくそのドアを開けまくり、旅をしまくるだろう。面倒臭い準備や交通機関やホテルの予約などをしなくて済むからだ。それに目的地へあっという間に着くことができる。「どこでもドア」が実際にはないため、わたしは色々な旅先での人情や景色、文化・歴史などの見聞を広めることができないまま過ごしてきた。もっとも、わたしみたいな浅学非才の者が旅を気取っても、その意義や価値を生かすことができなかったのではないかと思うこともある。
その思いを特に強くした旅がある。職場の旅行で台北の国立故宮博物館を見学したときのことだ。そこが世界四大博物館の一つであり、世界一の中国美術工芸コレクションとして名高い博物館であることを事前に聞かされていたにもかかわらず、わたしは何の感動も感激もすることができなかったのだ。ただ退屈な時間を過ごしただけだった。このときほど、自分が万事に興味関心の薄い人間であるということを痛感したことはなかった。
わたしの旅と言えば、ほとんどが職場の慰安旅行だった。慰安旅行だから、引率者に引きずられて行くような旅ばかりだった。引きずられるような旅しかできない性分だった。そんな旅しかできなかったので、現地を小域的、平面的にしか観ることができず、教養が身につくようなことはできずにきた。
旅をする人々の目的は、観光地の美しい景色を見てみたい、旅先の美味しい料理を食べてみたい、傷ついた心を癒しに行きたいと様々だ。更には、貪欲に見聞を広めたいという勤勉家もいれば、自分探しを目的にするような人もいる。わたしが出不精であるもう一つの理由は、これらのどの目的にも大して関心がなかったからかもしれない。たとえ目的を持つことができたとしても、まずは面倒くさがりの悪癖を退治してしまわなければならない。
もっとも、カミさんが慰安旅行のように引っ張り回してくれるのであれば、話は別だ。