【街景寸考】本場ディズニーランドでのこと

 Date:2019年07月17日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 意識的に自分から遠ざけてきたことがある。日の丸の国旗や国歌・君が代のことだ。小中高時代は運動会のときに国旗掲揚が行われれば、ごく当たり前のように日の丸の旗を見上げてきた。しかし、他国の国民のように自国の国旗に敬意を払うような気持ちはなかった。

 思えば小学生の頃までは、旗日になるとほとんどの家で日の丸の旗を掲げていた。わたしの家でも、祖父は必ず旗日に日の丸の旗を玄関先に掲げていた。わたしが住んでいた炭坑の6軒長屋は2百棟以上あったので、旗日は日の丸の花が咲き誇り、壮観だった。

 入学式や卒業式などに歌う国歌斉唱も同じような感じだった。歌いながらも特別な感慨を抱いたりするようなことはなかった。むしろ、曲調が静かでゆっくりしているので、いつも拍子抜けする気分になり、歌詞の意味も分からなかったので余計面白くなかった。

 国旗や国歌のことが無関心でいられなくなったのは、東京の大学に行ってからだ。当時、70年安保闘争(日米安全保障条約に対する大規模な反対運動)の最中で、学生たちは将来の国のかたちのことでは無関心でいられない立場に立たされていた。この時代、安保条約の反対運動に参加する学者や学生などは左翼と見られ、日本の伝統文化や戦前の軍国主義的価値を重んじるような集団は右翼と見られていた。

 そういう空気の中では、日の丸を掲げたり、君が代を歌ったりすると世間から右翼系のレッテルを貼られるようなところがあった。日教組の先生たちが、学校現場で国旗掲揚や君が代斉唱を拒否し、世間を騒がすようになってきたのもこの頃だ。わたしが国旗、国歌に対して意識的に遠ざかってきたのは、そういう面倒臭そうな状況にあったからだ。

 今、わたしは国旗や国歌に抵抗感や違和感はない。君が代が天皇の時代を指す言葉であり、天皇と言えば軍国主義という連想が薄れてきたからだ。ただ、君が代の曲調にはいまだ違和感はある。独立をして自国を勝ち取った他国の国歌のように、眩しいほどの明るさや威勢のよさまで望まないが、もう少し希望や誇りが感じられるものであってほしいと思う。

 以前、本場ディズニーランドで、思いがけなく感動する情景に遭遇することがあった。確か、閉園の知らせを告げるアメリカ合衆国の国歌が園内に流れてきたときだったと思う。一斉に来場客が立ち止まり、片手を胸にあて、国歌が終わるまで凛と佇んでいたのである。どの表情にも、合衆国の国民であることに誇りや愛国心を抱いているように思えた。

 君が代も曲調を別にすれば、歌詞は立派なものである。この歌詞には「日本を愛する人々が、固い絆で何千年(千代に八千代に)も永遠(苔のむすまで)に平和な世を築いて行こう」という意味が込められているようだ。いかにも建国2600年余の長い歴史を持った国柄の歌詞ではある。

 その辺は理解できても、君が代を聴きながらディズニーランドで見た人々と同じような精神で佇むことはできそうにない。