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【街景寸考】虚栄心で得たこと
Date:2019年07月24日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
高校時代は野球部に所属していたが、部活の合間を縫って日曜日や平日の早朝、昼休みなどにバスケットボール、卓球、バレーボールを楽しんでいた。たった一人で器械体操の真似事もしていた。高校には体操部がなかったので、校内で大車輪ができるのはわたしだけだった。運動会では、400m競争で陸上部員よりも速く走ることができた。
ところが泳ぎだけは駄目だった。小学5、6年生の頃に肋膜炎と小児結核を患い、医師から泳ぎを止められ、身体を強く動かす運動は控えていなければならなかった。中学生になってからは元気を取り戻してはいたが、それまでの病気への恐怖心が残っていたので泳ぐことだけは自制していた。
高校時代になると人一倍身体が強くなり、泳ぎへの恐怖心もなくなっていた。ところが野球部員だからということで、泳ぐことはできなかった。「泳ぐと肩に悪い」(後年、根拠のないことを知る)と言われていたからだ。結局、わたしは小学5年生から高校3年の部活を終えるまで、川やプールで泳ぐことはほとんどなかったことになる。
ところが、部活を終えた高3の夏休みのこと、学校で初めての水泳大会が開催されることになった。プールの新設を記念する大会だった。この大会のことを他人事のように思っていたら、わたしは級友たちからクラス代表の選手として押されることになったのである。周りからスポーツ万能のように思われていたからだ。種目はクロールの100mだった。
虚栄心の強かったわたしは、みんなの前で「おれ、泳ぎは苦手なんだ」とはとても言い出すことはできなかった。大会までわずか3週間ほどしかなかった。
早速、母校の中学校のプールに忍び込んで練習を開始した。早朝の時間帯を狙っての練習だった。練習しているところを誰にも見られたくなかったからだ。まずは、どうしたら息継ぎができるのか考えながら泳ぎ、次に手足をどう動かしたら速く前に進むのかを考えながら泳いだ。とにかく「100mさえ泳ぐことができれば」という気持ちで練習をしていた。
中学校のプールは、すでにプール開きが行われている時期のはずだったが、予算の問題なのか、それとも水不足の年だったのか、水はひどく汚れていた。濃い緑色の藻のようなものが一面に浮かび、藻の間をカエルまで泳いでいた。水中で目を開けても、ほとんど前が見えなかった。それでも、このプールで練習するしかなかった。
大会当日、刺すような日差しと級友たちの喚声を受けながら、わたしは飛び込み台に立った。「ビリでも100mを泳ぎ切ればいい」という気持ちだったので緊張感はなかった。プールに飛び込んだわたしは、初めて「夢中」という精神状態になっていた。
結果は3着だった。自分としては上出来だと思ったが、その嬉しさを顔に出すことはわたしの虚栄心が許さなかった。わたしはプールサイドで唇を噛み、悔しさを演じた。
虚栄心がわたしを大きく成長させてくれた高3の夏であった。