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Date:2019年08月07日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
自宅の浴槽に浸かるたびに、幼い頃の炭坑の共同浴場でのことが蘇ってくる。それは瞬間的なものであり、漠然としたものなので、蘇ったと思った途端に消えてしまう。その情景の輪郭だけでも掴み取って記憶に戻そうとしても、いつも徒労に終わってしまう。そのたびに、何か淡く切ない感情が鼻の奥まで込み上げてくる。
幼い頃の色々な記憶が、このように突如として蘇ってくることが多くなった。野山などで久しぶりに野イチゴを見たときも、野イチゴを探し回っていた幼い頃の情景が蘇ってくる。今でもたまにどこかで見かけると、美味しいとは思わなくても必ず口にしてしまう。甘くて美味しいと思っていた頃に浸りたいからだ。
NHKラジオの「ひるのいこい」のテーマ曲を耳にするときも、そのたびに60数年前の情景が瞬時に蘇ってくる。炭鉱長屋の台所で、祖母が昼食の準備をしているときの情景だ。5歳か6歳の頃の記憶である。のどかな日本の田園風景を思わせるこのテーマ曲は、祖母との思い出と重なって今でもわたしの心を優しく癒してくれる。このテーマ曲が60数年前から今日に至るまで使われ続けていることに、あっぱれと言いたい。
思うに、幼かった頃の記憶が頻繁に蘇ってくるようになったのは、わたしが晩年を迎えているということを意識下に感じているせいなのかもしれない。未来に向かってたくさんの時間を持っていた青年期は、過去の記憶をたぐるようなことはあまりなかった。現在の自分に戸惑い、不安な未来ばかりを見つめていたからだ。過去を振り返り、懐かしむような心の余裕がなかったからとも言える。
晩年を迎えた昨今は、これまでの過去をやたらと振り返り、懐かしい思い出を探し、その懐かしさに浸りたいと思うようになってきた。幼い頃のわたしを知っている身内が母だけになり、その母も4年前に亡くなってからは特に自分の過去を探すようになった。
最近、過去の思い出に浸っているとき、涙目になることが多くなった。更に、過去を懐かしもうというだけでなく、その情景の一つひとつを愛おしいと思うようにもなってきた。そして真面目にひたむきに生きている人々を何かの機会に知ると、どういうわけか同時代人として強く心を動かされるようにもなってきた。この期に及んで、生きているということがとても大事に思えるようになってきたからかもしれない。
そう言えば、今まではテレビを観ているときなどで、目を潤ませ鼻をすするのはカミさんの方が多かったが、最近はわたしの方がそれを上回っているように思える。涙腺の老化による緩みも原因だと思われるが、それ以上に脳が単細胞化してきているような感もある。