nasiweb
nasiwebとは
注目記事
新着記事
ライター登録申込
同カテゴリの他記事
【街景寸考】教育関係者が自覚すべきこと
2024年08月05日11時14分
【街景寸考】怒りのCМ退治
2024年07月08日11時43分
【街景寸考】「ミャクミャク」のこと
2024年06月03日12時59分
【街景寸考】「人生、まあまあでいい」
2024年05月07日14時52分
【街景寸考】81歳と77歳が再対決?
2024年03月05日13時40分
同ライターの他記事
【街景寸考】教育関係者が自覚すべきこと
2024年08月05日11時14分
【街景寸考】怒りのCМ退治
2024年07月08日11時43分
【街景寸考】「ミャクミャク」のこと
2024年06月03日12時59分
【街景寸考】「人生、まあまあでいい」
2024年05月07日14時52分
【街景寸考】81歳と77歳が再対決?
2024年03月05日13時40分
【街景寸考】「衣食足りて」のこと
Date:2019年08月28日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
「衣食足りて礼節を知る」
人間は多少なりとも生活に余裕ができて初めて、礼儀や節度をわきまえることができるという古代中国の諺だ。若い頃、この諺に何の疑問も持つことはなかった。着る物もろくになく、食べ物にも困るような生活を続けていると、誰でも心まで貧しくなるのだろうと想像できたからである。
ところが齢をとるにつれ、この諺に少し疑問を持つようになった。確かに、暮らしが貧しくなると心まで貧しくなる人間がいるにはいるが、そういう人間はむしろ一部でしかないように思えてきたからだ。わたしの家も貧しかったが、だからこそ母は世間に恥じぬよう礼節を重んじるという気概のようなものを持っていたように思う。
こうした性分はわたしの母だけでなく、元々日本人に具わっている国民性のようなものではないかと思ってきた。こうした国民性は東日本大震災の被災地を取材した海外メディアの「整然と列に並んで配給を待つ忍耐強さに驚嘆」「海外では当たり前に起きる略奪や窃盗がほとんどないなんて信じられない」という表現などからも窺うことができる。
もっとも、これらの報道は誉め過ぎの感もなくはない。同じ被災地で後ろめたい事件も伝えられていたからだ。住居侵入や窃盗、更には避難所で性暴力が発生していたという事実である。どこの国でもこうした「火事場泥棒」的な事件は起きるが、それにしても日本の被災地で起こった事件だけに残念でならなかった。
しかし、こういう輩がいたとしても大抵の日本人は、日本の伝統的な風土や文化によって、誠実さや律儀さ、思いやりの精神が育まれているので、貧乏になったからといって簡単に礼節を忘れたりする国民ではない。海外メディアが被災地で見た日本人の道徳観を高く評価していたのは、決してお世辞ばかりではなかろう。
一方、衣食が足りると礼節を知ることができるのかという疑問もある。
先日、中国人の着飾った女性が、道路上で男性と言い合いになっている中国での映像をテレビで見た。その女性は相手の男性に「ボロの服を着ているくせに」「安そうな車に乗っているくせに」と、まるで貧乏であることが悪いかのように叫んでいたのである。衣食足りても礼節を知らない典型的な人間である。
もちろん、こうした例は中国人だけではない。日本人でも教養のない即物的な人間は、傲慢で礼節をわきまえず、やたらと着飾り、贅沢な食事ばかりを好むという傾向にある。逆に、徳が高くて礼節を重んじる人物は、着る物にも食べる物にも固執せず、外見的なことに囚われない傾向を見ることができる。
昨今、衣食は足りてきたが価値観の多様化が進み、礼節は薄れつつあるように思える。
わたしにいたっては、粗衣粗食は平気だが礼節の方はいまだに劣等性である。