【街景寸考】少年自衛官のこと

 Date:2019年09月04日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 中学3年生のとき、海上自衛隊の少年自衛官になるための試験を受けたことがある。「海軍」という映画を観たのがきっかけだった。海軍の下士官役に扮した北大路欣也の白の軍帽、軍服と腰に下げた軍刀の姿がまぶしいほど恰好良く見え、是非自分も同じ恰好をしてみたいと思ったのである。54年前のことだ。

 この映画を観た後、早速、少年自衛官のことについて調べてみた。すると、授業料免除で高卒の資格が取得できることや、寮の生活費も手出しを必要とせず、更には小遣い程度の給料まで貰えるということを知り、わたしの受験への意志は強固なものになっていった。

 同じ中学校からは6名が受験願書を提出していた。第一次試験は学科試験で、北九州大学で行われた。結果は、わたしを含む3名が合格した。二次試験は身体検査と適性検査で、実施場所は陸上自衛隊久留米駐屯地だった。実施場所が遠方だったため、試験の前日にわたしたち3名はそれぞれ母親同伴で久留米に向かい、駐屯地近くの旅館に着いたのは夜7時頃になっていた。

 古ぼけた小さな旅館だった。玄関口には<HОTEL>とだけ表示された暗紫色の小さな電照看板が掲げられていた。部屋に案内されたとき、仲居さんが慌てるようにして先に部屋へ入り、蒲団の頭部分に並べられた二つの枕の片方を取り上げた。そして、慌ただしく用意したもう一つの蒲団の方にその枕を置き直した。そうした仲居さんの動きから、そこがどういう種類の旅館なのかを中学生のわたしでも察することができた。

 翌朝、わたしたちは一緒に朝食を済ませ、旅館を出た。旅館を出たところで少し驚いた。久留米駐屯地の正門が間近に見えたからだ。昨日は日が暮れてから旅館に辿り着いたので、辺りの様子が分からなかったのだ。銃を抱えた自衛隊員が2人両端に分かれて立っている正門を通り抜け、二次試験の会場となっている大きな部屋に入った。

 適性検査では少年自衛官に必要な能力検査が色々と行われたが、ほとんど記憶にない。唯一、海水音が響いてくるような音を色々聞かされ、そこまでの距離の長短を見極めるような検査があったことを、おぼろげながらに記憶している。

 二次試験の後、待ち望んでいた合格通知は自宅に届くことはなかった。他の2名も不合格だった。3名は高校入試を受け、たまたま同じ高校に入学した。高校卒業後に一人は防衛大学に入ったことを風の便りに聞いた。初志を貫徹していたのだ。他の一人は父親の後を継ぎ、農業と瓦を製造する家業を継いでいた。わたしは東京の大学を受験して落ち、新聞配達員をしながら浪人生活を送った。

 もしあのとき少年自衛官に合格していたなら、わたしの人生はすっかり違っていたはずである。人生は紙一重の連続で成り立っているのだと、あらためて思う。