【街景寸考】必要だった裁きのこと

 Date:2019年09月11日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 1960年代から1970代に作られた戦争映画のほとんどが、第2次世界大戦中の連合国とドイツの戦いを題材にしたものである。わたしたち観客は、その闘いで活躍する主人公の信念や勇気に魅せられ、最後に勝利を手にする場面では大いに感激し、満足しながら映画館を後にしたものだ。

 ところが、同じ戦争映画でも「プライベート・ライアン」(1998年)辺りから制作意図が違ってきたように思う。ノルマンディー上陸作戦により、連合国側の数えきれないほどの上陸用舟艇が海岸を目指して進んでいるところから始まる映画だった。

 舟艇内に押し込められた兵士たちは、これから始まる戦闘を覚悟し、息を殺して待ち構えていた。緊張で手が震える兵士もいれば、十字架にそっと口づけをする兵士もいる。舟艇が岸に着き、船首の渡し板が前に開かれるや否や、高台で待ち構えていたドイツ軍の大規模な機銃掃射に見舞われる。

 舟艇内やその周辺の海が忽ち血で赤く染まり、海岸に辿り着いた兵士らも恰好の的になって次々と倒れていく。片腕がもげても気丈に前に進む兵士、腹から腸が飛び出し悲鳴をあげている兵士、砲弾で下半身が飛ばされている兵士等々。

 その光景はさながら、地獄絵図そのものであり、わたしはその映像を観ながらたじろぎ、恐れをなし、気分が悪くなっていた。そこにはかつての戦争映画で観た「かっこよさ」を微塵も感じることはなかった。紛れもない反戦映画だと確信した。

 戦後74年が経った。戦争を経験した元兵士の多くはこの世にいない。存命していても大方90歳を超えている。その元兵士たちが、近年、自己の戦争体験をテレビカメラの前で語ることが増えてきたように思う。間もなく訪れようとする死を前に、語らずにはいられない心境や使命感のようなものを窺うことができる。戦後長い間頑なに口をつぐんできた戦争の悲惨な真実の吐露だった。

 戦死した兵士のことを英霊と呼んできたが、彼ら元兵士は惨たらしく死んだ兵士たちの死のことを「犬死に」という言葉を使って、悔恨の思いを語っていた。そして、占領地の民間人を虐殺し凌辱したことや、上官の命令により捕虜を銃剣で刺し殺したこと、極限の飢餓状態の末に味方の日本兵を殺し、その肉を食べたことなどの事実を淡々と語っていた。

 わたしたちは再び戦争の惨禍を繰り返さないためにも、これら元兵士たちの声を後世にきちんと伝えていかなければならない。伝えていくことで、戦争反対の本気度を高めていかなければならない。

 極東軍事裁判は連合国側が日本人の戦争犯罪を裁いたものだが、230万人の日本兵や80万人の民間人を犬死にさせた日本軍の指導者を、日本人自らが裁く裁判は行われてはいない。先の戦争犯罪を総括するためにも、この裁きは必要だったはずである。