【街景寸考】国会というところ

 Date:2019年10月23日09時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 週三日のパート労働も辞め、自由気ままな隠居生活に入ってから1年半が過ぎた。隠居というのは、仕事から離れて余生を静かに暮らすというイメージがあるが、わたしの場合は大分違っていると言っていい。

 二つのソフトボールチームに加え、還暦野球のチームにも所属しているので、結構忙しい日々を送っている。練習は週に3日あり、試合は土・日を中心に平日のナイターゲームも加えると年間30回ほどある。練習や試合のない日は、6kmのスロージョギングの後、ストレッチや素振り、ボールの壁あてをして身体を動かしている。

 オッと、話が端から脱線してしまった。今回はテレビで見た国会中継のことを書こうとしていた。国会中継を隠居生活のお陰で見ることができるという下りから書き始めるつもりが、隠居生活の主要な部分を占めるソフトボールや野球のことについ思いが及んでしまい、話が逸れてしまった。

 先日、衆議院の予算委員会が行われているところをテレビで見た。議員たちが論戦を繰り広げている様子はニュース程度で垣間見ることはあっても、今回のように生中継の映像をじっくり見ることはなかったので割と新鮮な感覚があった。質問をはぐらかすような不誠実な総理の答弁には腹が立ち、野党側の突っ込みの甘さにも失望したものの、それらを含めても他局のワイドショーの番組とは別の面白さを味わうことができた。

 論戦の中身は勉強になるが、その一方で追求する議員や追求をかわそうとする大臣たちの表情や仕草などからは、人となりをあれこれ想像する面白さもある。論戦が昂じて感情的になり、思わず本音が口を衝いて出る一幕があったりすると、その議員の本性を垣間見たような気がして下世話な気分になることもある。

 それに比べて本会議はまるでつまらない。質問する議員も総理をはじめ大臣たちの答弁も、官僚の作成した原稿を読み上げているだけだからである。見ていて空虚さを感じてしまう。予算委員会のように、答弁に対して突っ込みを入れる機会もなく、即興的な論戦の場もない。会議が議論することを前提にしたものであるなら、本会議での会議は全く異質なものだと言うべきであろう。

 なぜなら会議をする前から双方ともに筋書きが出来上がっており、それを形式的儀式的に進めているだけである。予算委員会で交わした価値ある論戦の成果も、ここではほぼ影も形も出てこない。多数派による最終意思決定が強引に行われているだけである。これは、国会という民主主義を象徴する機関を、国会自らが歪めているということにならないか。

 民主政治は最良の政治形態ではある。しかし、いくら優れているといっても、それを運用する人間に優れた理性や知性がなければ、絵に描いた餅に過ぎない。昔のように小中学生の「将来なりたい職業ランキング」に政治家が登場する日は、夢のまた夢のことなのか。