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【街景寸考】Fくんのこと
Date:2019年11月27日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
中学時代、脳性まひを患ったFくんという同級生がいた。クラスは違っていたが、わたしとFくんとは学校の廊下などで会えば、「オーッ」と声を交わすような間柄になっていた。
Fくんの身体は重度にまひしていたので、手足を自由に動かすことができず、歩くときはフラリフラリと今にも倒れそうな恰好になった。喋るときも、レコードの回転速度を遅くしたときのような声だったので聞き取りづらかった。
そうしたハンデイを背負っていたFくんだったが、他の生徒から声をかけられれば笑顔で応え、自分からも積極的に声をかけようとしていた。からかわれたことでケンカになることもしばしばあったが、F君は少しも臆することなく、場合によっては相手に食ってかかることもあった。
Fくんのことで驚くようなエピソードがある。それは学期末試験が行われていたときのことだ。教師が試験の終了時間がきたことを伝えたときに突然Fくんが立ち上がり、悔しそうな声を張り上げながら、持っていた鉛筆を教室の床に投げ捨てたのである。理由は、まだ答えを書くことができた問題がいくつかあったが、握っている鉛筆を自由に動かすことができなかったことから、悔しさのあまりに出た行動だった。
わたしはこの話を聞いたとき、Fくんの悔しい気持ちが痛いほど伝わってきた。同時に、その悔しさを思うFくんの強い気持ちに感心し、感動さえしたのである。不自由な身体にもめげず、懸命に勉学に励もうとするFくんに頭が下がる思いだった。ちなみに、Fくんの成績は600人ほどいる同学年の中で60番目から70番目くらいだった。
当時、Fくんのような脳性まひの子どもは、そのほとんどが養護学校に行かせられていた。普通学校に行けば、差別やいじめに遭うことも十分予想できたからである。そうした状況下にあって、あえて健常児の中で教育を受けさせようとしたFくんの保護者や、Fくんを受け入れた中学校の勇気と決断に遅ればせながら敬意を表する思いである。そして、何よりも周囲の期待に応えていたFくんに、心から「あっぱれ!」と言いたかった。
奇しくもFくんが悔しさのあまり鉛筆を床に投げ捨てたこの年は、東京オリンピックが開催され、パラリンピックの先駆けとなる障がい者の国際大会が東京で開催された年でもあった。以降、パラリンピックの規模は年々拡大し、これに呼応するかのように障がい者の社会参加も増えてくるようになり、就業率も次第に上がってくるようになった。
こうした障がい者の状況を知るたびに、あの頃のFくんの負けん気の強い姿が脳裏に浮かんでくる。その一方で、心を病んで自室にひきこもる若者が増加していることに思いが及び、複雑な気持ちになってしまう。彼ら彼女らに言いたい。Fくんのように自尊心を強く持ち、まず一歩を踏み出してほしいと。