【街景寸考】朝、鮮やかな国の人々

 Date:2019年12月04日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 旧産炭地・筑豊に生まれ育ったわたしは、大人たちが会話をしているときに、「あの人は朝鮮人(在日韓国・朝鮮人)らしいよ」と言っている場面をときどき見てきた。大人たちが「朝鮮人」という言葉を使うときは、誰かを見下すときのような卑しい表情をしていた。

 当時、炭鉱町の周辺部に朝鮮の人々が暮らしていたのは、炭坑の仕事と何か関係しているようには思えたが、どのような背景で筑豊に住み着くようになったのかは分からなかった。ところが後年、太平洋戦争前に多くの朝鮮人を朝鮮半島から強制的に連行し、炭坑労働者として働かせたという史実が背景にあったことを知った。彼らは過酷な労働を強いられていたという記録があるようだが、その正確な詳細は知らない。

 そもそも日本人が朝鮮の人々を見下すようになってきたのは、おそらく日本が韓国を併合し、事実上の植民地統治を行うようになってからのことだと推測してきた。いわゆる勝ち組としての優越感によるものだ。加えて、筑豊で暮らす多くの朝鮮人が掘立小屋に住んで、いつも貧しい身なりをしていたということでの優越感もあったに違いない。

 当時のわたしは子どもだったということもあり、朝鮮人を話題にするときの大人たちの表情が不可解に思え、ときには反抗心さえ抱くことがあった。その反抗心は、わたしが小学4年生のときに朝鮮人の友だちと仲良くしていたことから生じていたのかもしれない。

 こうしたわたしのスタンスは、社会に出てからも変らなかった。それは差別を憎むという正義感のようなものからではなく、たまたまわたしがそばで見てきた朝鮮の人々の印象が良かったからだと思われる。わたしがその朝鮮の友だちの家へ遊びに行くたびに、彼の母親や姉から「いらっしゃい」と明るく声をかけられていた光景を未だに忘れないでいる。

 いつしかわたしは、「朝、鮮やか」という朝鮮の国名が好きになっていた。その後も、「チ
ャングムの誓い」をはじめとする韓流時代劇をテレビで観るようになってからは、朝鮮の文化や人々の精神性に感銘を受けてきた。

 同時に、日本がこれまでの歴史において多くの恩恵を受けてきたにもかかわらず、朝鮮の人々を見下すに至った不幸な歴史をあらためて残念に思うようになった。

 差別には民族差別、男女差別、職業差別、宗教差別、部落差別などがあり、いずれも他を見下すという醜い意識が在る。その意識が人々の間に不幸をもたらす元凶になっているのは言うまでもない。

 今、日韓関係は悪化の状況にある。二度と悲しい歴史を繰り返さないためにも、お互い差別の壁を乗り越えながら歩み寄っていくしかない。