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【街景寸考】種の保存のこと
Date:2019年12月11日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
NHKテレビで放映している「チコちゃんに叱られる」を観ることがある。着ぐるみの少女チコちゃんが「眠くなると、なぜあくびが出るの?」「地図はなぜ北が上なの?」等々、当たり前過ぎて難しい質問を出演者に出し、答えることができなければ「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と吠え、視聴者から笑いを取るというバラエティ番組である。
先日も同番組を観ていたら、小欄のネタにしてみたくなるような解説をしていた。動物研究家の解説の中で「親ツバメが子ツバメに餌をやる行動は愛情によるものではない」と断言し、「親ツバメは子ツバメの黄色の口を見ると、くわえている餌を子ツバメの口へ移すようプログラムされているからだ」と、愛情ではないことの真相を明かしていたのである。
この解説には正直驚かされたが、更に親鳥が卵の上にかぶさって大事に温めようとしている行動も愛情によるものではなく、冷たい卵の上にかぶさると気持ちが良くなるようにプログラムされているだけという解説に二度驚かされた。
要するに、人間以外の生き物が自分の子どもを懸命に育てているように見えるのは、実は愛情によるものではなく、種を保存するために作られたDNA上のプログラムによるものだという解説である。これまでわたしは、親が子どものためにすべてを捧げるという愛情は、人間だけではなく他の生き物においても本能的に具わっているものだと思っていた。
その愛情のように見える行為が、愛情によるものではないということが真実なら、本能とは別に愛情というものを捧げながら種を保存しようとする生き物は、人間だけということになる。言い換えると、人間以外の生き物は本能だけで種の保存ができるように創られているが、人間の場合は本能だけでは足りず、理性や感情が盛り込まれる愛情というものを付け足していかなければならない不完全な生き物だと言うこともできる。
わたしの4人の子どもが育ったのは、カミさんの深い愛情に基づく日常的な食事や健康面での管理の連続によるものが大きかったのだとあらためて思う。そのお陰でわたしの場合は子孫を残すことができた。ところが、父親のわたしは生活費を入れてきただけであり、言ってみれば間接的に種の保存に関わってきたに過ぎない存在でしかなかった。
このことは、わたし自身認識していたことだった。カミさんと役割を交代して父親であるわたしが4人の子どもたちを育てることなど、とても不可能なことだと思ってきたからだ。そういう意味ではわたしの場合、種の保存の法則からみれば、より不完全な父親であり生き物だったと言えなくもない。
この小欄の最後に言いたかったことがある。それは、人間同士が殺し合い、ひたすら地球環境を破壊して生き物が棲めなくなるようにしている人間は、生物学的には不完全なうえに、実はより劣等な生き物なのではないかということである。