nasiweb
nasiwebとは
注目記事
新着記事
ライター登録申込
同カテゴリの他記事
【街景寸考】教育関係者が自覚すべきこと
2024年08月05日11時14分
【街景寸考】怒りのCМ退治
2024年07月08日11時43分
【街景寸考】「ミャクミャク」のこと
2024年06月03日12時59分
【街景寸考】「人生、まあまあでいい」
2024年05月07日14時52分
【街景寸考】81歳と77歳が再対決?
2024年03月05日13時40分
同ライターの他記事
【街景寸考】教育関係者が自覚すべきこと
2024年08月05日11時14分
【街景寸考】怒りのCМ退治
2024年07月08日11時43分
【街景寸考】「ミャクミャク」のこと
2024年06月03日12時59分
【街景寸考】「人生、まあまあでいい」
2024年05月07日14時52分
【街景寸考】81歳と77歳が再対決?
2024年03月05日13時40分
【街景寸考】「忘年会スルー・帰省ブルー」のこと
Date:2020年01月22日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
昨年12月は「忘年会スルー」と「帰省ブルー」という言葉がTVのワイドショーを賑わせていた。「忘年会スルー」というのは、若手社員が職場の忘年会に参加したくないという意味合いの言葉だ。ある若者がこの言葉をツイッターで発信したところ、これに同調する声がネット上で一気に高まり、これをメディアが取り上げたというのが経緯のようだ。
忘年会シーズンが終わると、今度は「帰省ブルー」がネット上で炎上していたようだ。「帰省ブルー」とは、正月に夫の実家に帰りたくないという妻の気持ちのことだ。両方とも今更の感はあるが、火元がネットであることを思えば理解できなくもない。
二つの言葉には共通点が見て取れる。それは「気を遣うのは気が重くて嫌だ」というものだ。「職場の忘年会に出席してまで上司の自慢話を聞かされたり、酒を注いだりして気を遣いたくない」「主人の実家で姑や舅に気を遣いながら正月を過ごしたくない」という赤裸々な心情である。
こうした声に賛否はあったものの、大抵は年齢や立場の違いによって意見が分かれる傾向にあった。ただ、「今どきの若い者は」「今どきの嫁は」という上司や姑、年配者の捉え方に、多少の違和感を覚えた。なぜなら、彼ら彼女らが若かった頃も同じように「スルー」や「ブルー」の本音があったはずだからである。
その本音を言えなかったのは、それがルールでもあるかのような風潮が社会の中にあったからだ。ところが時代と共に、その風潮は変容してきた。今は、本人の意志に反してまで無理強いはできないという考え方が人々の間で段々強くなり、もはや以前のような状態には戻れない様相を呈している。
ただ、こうした変容が良いことばかりではないことも、老婆心ながら言っておきたい。人間は他人と関りながら生きて行くしかない生き物だ。その関わりの中で必要になる潤滑油が、「気を遣う」という心の動きである。この心の動きを養っていくには、多くの人間と積極的に触れ合っていくしかない。この武者修行を行うことにより、社会で生き抜くコミュニケーション力や胆力、いわゆる人間力を養うことができるからである。
間もなく社会の末端までAI(人工知能)が普及してしまう時代になりそうだ。そうであるならば、AIに職を奪われないための能力を具えておく必要がある。その必要な能力こそが、他人の心の動きを察したり、読み取ったりすることのできる能力のことだと言える。
先刻、高校女子ソフトボールの研修試合が行われているのを見てきた。グラウンドでは選手一人ひとりが、審判に、相手チームの選手に、監督等にハキハキと気を遣っている様子が印象的だった。この光景に、健全な社会の縮図を見たような思いがした。