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【街景寸考】固定観念のこと
Date:2020年04月22日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
真上から見ると円形に見え、真横から見ると長方形に見える物体と言えば茶筒のような円柱だ。しかし、見る位置をいつまでも変えなければ、球体だと思ったり長方体だと思ったりするかもしれない。このように、物体を一方向から見ただけでは本当のかたちを知ったことにはならない。
茶筒のような身近にある物体であれば、その本当のかたちを知るのは何も難しくはない。ところが人間の心の有様は、四方八方から見たつもりでもその実態を知るのは難しい。気持ちが落ち込んでいるときもあれば、怒っているときもあり、嬉しいときや悲しいときもあり、そのときどきの意志や感情によって心の有様は色々変化するからである。
初対面のときには表情が硬く、顔も強面だったので、「あの人は堅物で、付き合いづらそうだ」と思い込んでいたら、実は付き合いが不器用なだけで心の優しい誠実な人だったという例は珍しくない。「あの人は悪い人間ではなさそうだが、何を考えているのか分からない」と聞かされていたので距離をおいて接していたら、実は正直さゆえに慎重な物言いをする人だったというようなこともある。
心の有様と同じように物事の本質を見極めることも難しい。特にわたしの場合は、思い込みや先入観に囚われやすい性分でもあるので、客観的な判断を見誤ってしまうことが少なくなかった。ともすると、そうした思い込みや先入観が凝り固まって、質の悪い固定観念や偏見にまで変質させてしまうこともあり得る。
質の悪い固定観念や偏見まで持ってしまうと、他人の意見に耳を傾けないようになり、そのため自由な思考や発想もできなくなってしまうことになる。そうなるとますます頑固になり、的確かつ柔軟な判断や行動ができなくなる。果ては「裸の王様」のような状態になり、誰からも相手にされない人間になってしまう。
かつて若者たちが尊師と煽ぐ人物の教えを狂信し、その尊師が誰かを殺せと言えば殺してしまうという悲惨な事件があった。洗脳という魔術も加わり、偏執的とも言える固定観念が形成されたあげくに引き起こされた事件だった。善悪の判断ができなくなるほど頭がコチコチに凝り固まっていたとしか言いようのない典型的な事例でもあった。
客観的に何が善であり何が悪であるかを判断し、物事の本質を見極めることができるようになるには、自分の中にある質の悪い固定観念や偏見から解放される必要がある。そのためには、広く意見を聴く耳を持つように努め、更には様々な書物を読んで広く教養を身につけて見識を深めて行くよう努めていくしかない。
ところで、わたしもついに「自分はいつまでも若い」という固定観念から解放されることになった。自分が年寄りであることを、ようやく受け入れることができたのである。もっとも、この心境に達するために何か特別努力をしてきたというわけではない。