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Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
高校時代の野球部の練習は辛かった記憶しかない。特に夏場の炎天下での練習は、半端なかった。まるで地獄の釜でゆでられているような暑さの中で、しごかれていた。練習後の小便はいつも赤茶色になっていたので、腎臓の機能もかなり疲弊していたということが、医学のことを何も知らないわたしでも推察できた。
練習の中で特に嫌だったのは、ベースランだった。ベースランは塁間での走力を強化するというのが目的だ。この練習が嫌だったのは、全速力で塁間を何度も何度も走るので、反吐(へど)が出るほど辛かったからだ。このベースランは監督の厳しいノックを受けた後に行われていたので、とどめを刺されるような辛さを味合わされていた。
ところが3年生が部活を退き、わたし自身が次の主将になってみると、なぜかベースランがそれほど辛いとは思わなくなったのである。この変化は、最初の頃それまでの厳しい練習の積み重ねにより体力や持久力がついてきたからだろうと思っていたが、それだけが理由ではないことに気づいた。
その理由というのは、ラストランを決めるのは主将であるわたしの胸先三寸にあったということだった。つまり、自分の疲れ具合に合わせてラストランを決めることができる立場になったので、わたし自身精神的に随分余裕を持つことができるようになったというわけである。他の部員たちは、ラストランが分からずに走り続けなければならないので、心理的に一層疲労感が増してしまうのである。
このように、人間、苦境に陥っているときでも、その出口が見えれば何とか頑張ることができる。逆に出口が見えなければ、不安や恐怖が募って虚無的になり絶望的になったりするので、頑張ろうとする気持ちも失せてくる。この違いは、ベースランの場合と同じである。
今、わたしたち国民は新型コロナ感染防止のため、不要不急の外出を自粛するよう政府・自治体から要請されている。感染がいつ収束するのか専門家にも分からず、一時的に収束することはあっても第2波、第3波が襲ってくるとも言われている。世界規模での収束をみるまでには早くても2、3年はかかると予測する専門家もいる。
ベースランを例にしたのは多少憚られるが、今まさにわたしたち国民は、先にある出口の光明がまるで見通せない暗いトンネルの中で、日々の暮らしを余儀なくされた状況におかれている。隠居生活のわたしは今、この暗いトンネルの中で、「1日一生」を意識しながら、ちぎり絵を楽しむように時間をちぎっては1日を埋めていくような過ごし方を心掛けている。このコロナ禍にあっては、先のことを考えても溜息しか出ないからである。
この瞬間にも過酷な状況の中、感染症と闘っている医師、看護師等の医療関係者の皆様に心より感謝と敬意を表したい。