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Date:2020年07月08日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
人前で歌ったことのないカミさんだったが、2カ月くらい前からわたしの前で声を張り上げて歌うようになった。亭主の前は人前のうちに入らないのかと思いきや、訪ねてきた息子や娘たちの前でも歌うようになったので驚いた。カミさんがこれまで人前で歌おうとはしなかったのは、自分が相当な音痴だと思い込んでいたからだ。
小学生の頃、歌の試験があるというときは数日前から緊張して過ごし、当日は緊張感に耐えられず最悪の体調で臨んでいたという。だから「蚊の鳴くような声」でしか歌えなかったようだ。カミさんの場合、他の勉強が良くできていただけに、普通に歌えない自分が他の生徒の前であからさまになることに耐え難い恥ずかしさを覚えたに違いない。
歌うのがそんなに嫌いなのかと言えば、そうではなかった。家事をしながら鼻歌を歌っているところを何度も聞いていたからだ。その鼻歌の音程が大きく外れていたということもなかった。要するに、自分で思い込んでいるほどカミさんは音痴ではなかったのである。
カミさんが歌うようになったのには、きっかけがあった。東京大衆歌謡楽団の演奏を佐賀市まで聴きに行ってからのことだった。カミさんはこの楽団のCDを買い、家で聴いているうちに歌いたい気持ちを抑えきれなくなったようだった。CDは藤山一郎や霧島昇、李香蘭ら、昭和初期に活躍した歌手の楽曲が集められていた。カミさんの心の中には、親世代が青春時代に歌っていた流行歌を懐かしみたいという気持ちもあったようだ。
最初のうちは所々音を外していたが、それは初めて歌う歌なら誰しもが経験することだ。
ところが、カミさんは音を外すたびに恥ずかしがっていたのである。自分以外の人間は一度歌を聴けば一遍でそのメロディを覚えることができると思い込み、それができないのは自分がやはり音痴だからだと頑固に思っているふしがあった。
誰だって歌を覚えるには、何度も聴いて、繰り返して歌わなければならない。カミさんにそのことをくどいほど言い続けていたら、次第に自分は音痴ではなく、何度も繰り返して歌っていなかっただけであることを理解するようになってきた。飯を作るのも忘れ、亭主が腹を空かしているのも気づかずに歌うようになったのは、それからだった。
成り行き上、わたしも一緒に歌わなければならない空気になっていた。カミさんが音を外したときに指摘をする役割を担わなければならないようにもなった。普段は何かとわたしの言うことに盾を突き、反論することも多いカミさんだが、歌の練習のときに限っては不気味なくらい素直にわたしの指摘に従うのである。
練習を重ねているうちに、思っていたとおり段々音を外さなくなってきた。最近では昭和初期の歌だけでなく、西田佐知子や八代亜紀、テレサ・テンなどの歌にも挑戦し始めた。歌うことの喜びを50数年ぶりに取り戻したことは、亭主としても嬉しい限りである。
先日はトイレからも歌声が聞こえていた。声の響き具合がいいらしい。