nasiweb
nasiwebとは
注目記事
新着記事
ライター登録申込
同カテゴリの他記事
【街景寸考】教育関係者が自覚すべきこと
2024年08月05日11時14分
【街景寸考】怒りのCМ退治
2024年07月08日11時43分
【街景寸考】「ミャクミャク」のこと
2024年06月03日12時59分
【街景寸考】「人生、まあまあでいい」
2024年05月07日14時52分
【街景寸考】81歳と77歳が再対決?
2024年03月05日13時40分
同ライターの他記事
【街景寸考】教育関係者が自覚すべきこと
2024年08月05日11時14分
【街景寸考】怒りのCМ退治
2024年07月08日11時43分
【街景寸考】「ミャクミャク」のこと
2024年06月03日12時59分
【街景寸考】「人生、まあまあでいい」
2024年05月07日14時52分
【街景寸考】81歳と77歳が再対決?
2024年03月05日13時40分
【街景寸考】聴き下手のこと
Date:2020年07月15日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
小学生の頃、わたしは授業中落ち着きがなく、担任の話をじっとして聴くことができない子どもだった。だから、担任の話を聞き漏らしたり、早とちりをしたりすることが多く、色々と失敗をやらかしていた。わたしのことを担任は、通信簿の所見欄に「授業中に落ち着きがなく、おっちょこちょい」という言葉を使って書き記していた。
授業中じっとしていることができなかったのは、黒板の方を向いても何も面白くはなく、退屈で仕方がなかったからだ。嫌いな食べ物を、無理やり口の中に押し込められているような息苦しさを感じていたような記憶がある。だから溜息をつき、頻繁に窓の外を眺め、近くにいる生徒にちょっかいを出したりしていた。
こういう子ども時代が続いていたせいか、社会に出てからも他人の話を聴くことが苦手な大人になっていた。我田引水な話や難しそうな話、他人のプライベートな話や悪口などは、大抵聴いているふりをしていた。耳を傾けるような話だったとしても、直ぐに忘れていた。
周囲はわたしがそういう性分だとは知らずに、「口が堅い奴だ」と勘違いすることがあり、こそばゆい思いを度々してきた。
さすがのわたしも仕事の話に関わることでは、普段以上に神経を使いながら耳を傾けていた。そのため、人一倍聴くという行為に疲れていたように思う。それでも、大事な話を聴き洩らしたり、聴き忘れたりしていたのでときどき周囲に迷惑をかけてきた。定年までよくもまあ勤め上げてきたものだと我ながら思う。周囲に感謝するしかない。
わたしの場合、話を聴くのは苦手だったが、話をするのは苦手ではなかった。現役の頃、様々な団体や企業から講演や講習を頼まれることがあったが、それら会場で「立て板に水のようですね」と感心されたのは一度や二度ではなかった。そういう才を持ったわたしなので、他人の話はいい加減に聴くという性分だが、自分の話はちゃんと聴いていてもらいたという身勝手な性分でもあった。
わたしが聴き下手になったのは、性分だけではなく能力も関係していたようにも思える。
その能力とは、他人の話を聴くときの脳の回転速度のことだ。その回転速度が大きく標準を下回っているように思えたのである。この劣った能力を確信していたのは、「立て板に水・・」のように流暢な話をする人の話しぶりを聴いているときだった。話の10分の1も理解できなかったのである。
実は聴き下手になった理由が他にもある。それは、人と対面したときに使う神経のことだ。
わたしの場合、会話そのものよりも相手の表情や表情の裏側にあるものを観察しようと、神経を傾けているようなのだ。特に初対面のときはそれがひどくなる傾向がある。こうした性質は後天的に加わったものに違いない。
今後は老化が進んで耳も遠くなってくるはずだ。そうなると更に聴き取り能力が低下していくことになる。口数が衰えなければ、ますます始末の悪いジジィになるのだろう。