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【街景寸考】優しさと醜さと
Date:2020年08月05日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
座ろうとした椅子に飼い猫が横たわっているとき、わたしは無造作に追っ払ったりはしない。せっかく椅子の上でリラックスしている飼い猫への気遣いである。
カミさんも同じ心を持っている。カミさんの肘の辺りに両手をかけて必ず添い寝をする次郎(飼い猫・黄太郎の弟分)に気を使い、次郎が離れるまでカミさんは肘を動かさない。肘を動かせば、せっかく寝ている次郎を起こすことになるからだ。
もちろんこうした気遣いは、多くの人たちにもしていることである。小さくて可愛らしい動物を前にしたときに生じる優しさは、元来人間に具わっているものだ。警察官が数人で道路を横断中のカルガモ親子の引越しを手助けしようとする行動も、同質のものだ。
同じような話をもう一つ。以前、電車の中で見かけた光景のことである。周囲に威圧感を与えるような強面の男が、母親の肩口から顔をのぞかせる赤子に変顔をし始めたのである。すると、最初は「このオヤジは何だろう」というような怪訝な顔をしていた赤子が、突然ニッと笑ったのである。強面は目を丸くして顔をほころばせ、何度も何度も変顔をし続けたという話である。
人間は小さな動物だけではなく、草花のような美しいものにも優しい気持ちを注ぐことができる。その気持ちを象徴するような俳句が、
「朝顔や(に)つるべ取られてもらい水」
である。朝早く起きて井戸水を汲もうとしたら、井戸のつるべに朝顔の蔓(つる)がからみついていたので、そのまま水を汲むには忍びないと思い、近所に水をもらいに行ってきたという意味である。江戸時代の俳人・加賀千代女(かがのちよじょ)の句だ。
人間に具わったこのような優しさは、他人の不幸や悲哀を我が身に重ねて思いやる心と多分に通じるものがある。ひいては相互扶助という助け合いの精神に繋がり、その最たる行動が災害ボランティアだ。自分の意志で被災地に行き、被災家屋のがれきや土砂、大型ごみの撤去をするなど、被災者のために少しでも助けになりたいと思っている人たちだ。
ところが残念なことにその一方で、障がい者を差別・排除し、婦女子を虐待し、新型コロナと闘う医師や看護師を、更にその家族までを誹謗・中傷するという、信じがたいことを行う輩も少なくない。こうした現実を知るたびに、「同じ人間なのになぜ?」と頭が混乱してしまう。
わたしたちは人として、弱い立場にあり様々な事情を抱えた彼ら彼女らには、尚更手を差し伸べ、支え、気遣いを示さなければならないのではないか。それゆえに、偏見を持ち、差別し、攻撃、排除するような醜い輩をわたしは大いに憎む。
飼い猫や赤子に優しい人間にも、このような歪んだ一面が潜んでいることを自戒を込めて言っておきたい。