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Date:2020年09月16日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
同調圧力。ひねくれ者のわたしには嫌いな言葉である。多くの人が思っていることに同調しなければいけないような心理的圧力に、強い抵抗感を覚える性質だからである。
新型コロナ禍でよくこの言葉を聞くようになった。マスクを着け忘れて買物に行ったりしたときなどに、周囲の目から感じる圧力のようなものは確かにある。この圧力が高じて「マスクをしろよ!」という過激な行動となって噴き出すこともある。差別や偏見がこの同調圧力から生み出されることが、こうした言動から窺うことができる。
一方、社会人である以上、周囲の空気に同調しなければならないときがある。周囲に同調することで、組織やお互いの結束を高めたり、親近感を増したりする効果があるからだ。いわゆる同調行動である。日本人が重んじる「和の文化」の中には、この同調行動と同調圧力がごちゃまぜになりながら形成されてきたように思う。
先日、釧路空港から関西空港行きの機内でトラブルが起きた。機内でマスク着用を拒否した男性客が、大声で客室乗務員を威嚇した(本人は否定)として新潟空港に臨時着陸して降ろされたという事案だ。マスクの着用義務が定められているわけではなかったので、これも同調圧力が背景になって起きた事案だと言えなくもない。
TV各局がこの件を扱っているのを観たが、男性客を単純に非難することができない要因が交錯しているように思えた。コロナ禍で乗客が機内でマスクをするのは常識だが、マスク拒否を理由に飛行機から強制的に降ろすことはできない。また、機内での安全阻害行為を理由に降ろしているが、その辺も定かではない印象を受ける。
男性客の言い分も伝えられていた。「客室乗務員からマスク着用のお願いを受けたが、拒否した。お願いは任意であるはずであり、その後何度もお願いをされたのは妥当な対応とは思えない」という主張だった。確かにマスク着用が「お願い」である以上、彼の主張を否定することはできない。機内での大声による威嚇行為も当人は否定している。
わたしはこの事案を、法的な視点は無視し、人間的な視点で見ることにした。法的な視点で見ても、男性客が機内の秩序を乱すほどの安全阻害行為を実際に行ったかどうかは詳細な検証が必要だからである。安全阻害行為とまでは言い難いものだったとすれば、航空会社の方の分が悪くなるかもしれない。
人間的な視点を重視したのは、この男性客の人間としての価値を評価したかったからである。わたしはこの男性客を少しも擁護する気にはなれなかった。マスク着用の義務がないことを盾に、マスク拒否を正当化しようとするのは屁理屈でしかないからだ。理屈は道理であるが、屁理屈は道理ではない。道理とは人として行うべき正しい道のことだ。
この男性客には、道理というものがまるでないように思えた。機内で同調行動をとっていれば、トラブルもなく2時間以上も到着が遅れずに済んだ話である。他の乗客のことを思いやるかけらもない最低の人間である。そう思った。