【街景寸考】親友のこと

 Date:2020年10月28日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 親友という言葉の受け取り方は人それぞれだ。そのうえで、わたしにとって親友と呼べる2人の友人のことを少しだけだが書いてみる。

 親友の一人Aは、学生時代に住み込みで牛乳配達をしているときの2つ年上の同僚で、宮城県石
巻市の出身だった。独学で司法書士を目指していた。口数が少なく、どこから見ても正直をそのまま人間にしたような人で、いかにも東北人という感じだった。

 小柄なうえに細身だったので一見気弱そうに見えたが、自分から話すときの目力には強いものを感じていた。何も話すことがなくても、互いにいつまでも平気でいることができた。ときどきAは年上らしく、わたしの気分を窺うように短い言葉をかけてくれていた。

 もう一人の親友Bは秋田県の出身で、わたしより一つ年下だった。同じ大学だったが、どこで出会い、どのように親しくなっていったのか覚えていない。趣味や遊び事で気が合ったというわけでもなく、お互いが住んでいるところも離れていたので頻繁に顔を合わせているような関係でもなかった。ところが、不思議に逢うたびに惹き合う力が互いに働いているのがはっきり分かった。

 校内で会ったときは大学に近いBの住むアパートに行くことが多く、いつも酒を飲みながら「人間という生き物」を肴にしながら面白おかしく、ときには真顔で話したりしていた。Bは裕福な家の出らしく、人に気後れしたり怖気づいたりするようなところがなく、東北人のイメージとは違って快活で行動的だった。わたしは自分にはないそのような性質が具わっているBが、頼もしくもあり羨ましくもあった。

 当時のわたしにとって親友というのは詰まるところ、逢えば元気の出る栄養剤のような存在だった。加えて、長く一緒にいても気疲れすることのない関係でもあった。居心地の良い関係を持続しているということは、互いに細かい心遣いもしているはずなのにと思うが、気疲れを少しも感じないのは不思議というほかなかった。

 AやBとの関係は学生時代までの付き合いになった。わたしが東京を離れ、九州に戻ったからだ。東京を離れるときは一抹の寂しさはあったが、未練を引きずるような気持ちはなかった。手紙で関係を保って行くことも考えてみたが、憚られた。それまでの関係を手紙で保つという類の間柄ではないように思えたからだった。

 社会人になって以降、よく一緒に飲んだり遊んだりした友人は何人もいたが、学生時代のAやBとの関係のようにはなり得なかった。それは多分、親友というのはお互い学生という自由な身分によってなり得る関係だからではないだろうかと今更ながら思う。

 もっとも、社会人になってから親友と呼べる友人はいなかったとは言え、人生を送るのに何の支障もなかった。たとえ親友ができたとしても、互いに寄りかかっていられるのは独身時代に限られるように思えた。家族に囲まれるようになれば、互いに親友という関係を維持していくための時間的・空間的な制約に限界を生じてしまうからだ。

 適度な距離を保ちながら付き合う関係であっても、人の優しさや人情の機微に触れ合っていくことはできる。そのことだけで十分幸せを感じている。