【街景寸考】お笑い芸人を見直した

 Date:2020年11月04日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 わたしの場合、バラエティ番組を観ることはほとんどない。チャンネルを変えているときに、たまたまお笑い芸人たちが笑いを取っているところを少しだけ観ることはある。そのたびに「なぜこんな番組がいつまでも続いているのだろう」と不思議に思っている。

 お笑い芸人が嫌いであるというわけではない。心が豊かになる上質な笑いへのこだわりを忘れ、薄っぺらな笑いを取ろうとする彼等を観たくないのだ。更に言えば、メディアとしての影響力の大きさを自覚することもなく、ただ視聴率さえ稼げばよいというようなTV局の姿勢に対しても憤りを覚えている。

 バラエティ番組に節操なく出演するお笑い芸人たちを快く思わないのは、お笑い芸人としての芸道を極みまで磨いてもらいたいと思う古典的な考えがわたしの中にあるからだ。芸人の力量はTV画面の露出度の多寡で測られるものではないはず。この辺を勘違いしてしまうと、芸人はただのタレントで終わってしまうような気がするのである。

 お笑い芸人としての冥利は、寄席芸を嗜好するひいきの客に腹から笑ってもらうことだと思ってきた。ひいきが笑う笑いとは、妙味を感じさせてくれる笑いであり、質の高い笑い芸に思わず唸ってしまうような笑いのことである。

 ところが、これまでは頑なに思ってきたこの考えを、改めることにした。

 今年の5月頃にお笑い芸人・東野幸治氏が司会役をつとめる「教えて!ニュースライブ・正義のミカタ」というニュース・情報番組を観てからのことである。パネラーで登場するお笑い芸人やタレントらが、有識者たちに国内外の政治や経済などの素朴な疑問や質問を投げかけ、東野氏のリードで平易に解説していくという番組だ。この番組を面白くしているのは、東野氏の機転を利かしたリズミカルな進行ぶりだった。

 東野氏は有識者たちの解説に透かさず切り込んだと思ったら、直ぐにその解説を平たい言葉でフォローし、更に笑いに変換してしまう巧みさも光った。周囲の空気や気分を瞬時に読み取り、瞬時に対応する能力も際立った。もちろんこの軽快な番組の流れは、東野氏の事前の猛勉強による予備知識抜きには成り立たないはずである。

 東野氏の芸人修行の中で身に就けてきた人間としての厚みや幅の広さは、まだ売れなかった貧困と苦悩の時代に培われてきた部分もあるに違いない。安っぽい低俗なバラエティ番組は別として、こうしたお笑い芸人の能力を活かした報道番組がどんどん登場してくるのは大歓迎である。TV局と東野氏に「あっぱれ!」と言っておきたい。

 ところが関西の朝日放送局で続いているこの番組は、九州朝日放送ではこの9月末で終了してしまったのである。今後も期待していた番組だっただけに残念でならない。わたしだけではないはずのこの声が大きくなり、九州朝日放送まで届いてほしいと思う。