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【街景寸考】冬の思い出
Date:2020年12月23日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
12月中旬を過ぎた頃から最低気温が2℃になる日も多くなり、本格的に寒くなってきた。朝方、目が覚めても首や肩の辺りが冷たくなっているせいか、簡単には二度寝ができなくなった。膀胱に小便が満杯になっても、それなりの覚悟がないと布団から起き上がる気になれなくなった。
子どもの頃から寒いのが嫌だった。冬の凍てつく寒さがやってくるたびに、自分から意気地がなくなり意欲が萎えた。体質的にも寒さに弱かったのか、しょっちゅうと言ってよいほどひび割れ(あかぎれ?)やしもやけになり、悩まされていた。
ひび割れは手の甲に赤く亀裂が入り、手を丸めるたびに皮膚が突っ張って痛みが走った。特に痛かったのは、風呂で凍えた手を湯船に浸けたときに滲みる痛さだった。祖母は毎晩寝る前にわたしの手にメンソレータムを塗り、手袋をつけさせた。すると、翌朝は痛みもひび割れも不思議に思えるほど消えていた。それでも夕方になる頃には再びひび割れになり、同じ処方を繰り返さなければならなかった。
しもやけは、手足の指の関節にできた。耳たぶにもできた。しもやけになったところは赤く腫れて痒くなり、ひどいときは痛痒くなった。足は特に小指が赤くなり、ときには親指ほどの大きさになることがあった。そこまでになると、歩いている途中で痛痒さに堪えきれくなり、思わず靴の上から爪を立て、埒があかないと分かるや一人癇癪を起していた。
小中高生時代の教室はまだ今のようにエアコンが整備されていなかったので、教室内は外気とあまり変わらず凍てついていた。わたしたちは冷たくなった両手を尻の下に敷いたり、両腿の間に挟んだりして温めていた。授業の進行上で頁を繰らなければならなくなったときは、両手をそのままにしてベロでめくっていた。
そんな折、生徒の誰かが「にぎり〇〇タマをしたら温かいぞ」と教えてくれたのである。早速ズボンのポケットに手を入れて試してみたら、なるほどカイロのような温かさが手のひらに伝わってきた。この方法を知ったわたしは、高校時代まで採り入れていた。
寒い冬が来ると、母から叱咤されていたことも思い出す。わたしが「ああ寒ッ」と泣き言を言うと、「何が寒いかね!」と大声で気合を入れられていた。更に「満州の寒さに比べたら、こんなのは寒いうちに入らんわね」とも言っていた。満州がどのくらい寒いのか見当がつかなかったが、厳寒の中でも厚着をせず、袖をまくりながらきびきびと動き回る母の姿から、何となく日本との違いを感じていた。
枕草子の中で清少納言が「いとをかしもの」(大いに趣があるもの)とする中に、冬の早朝で見る「雪が降る光景」や「霜で地上が白くなった光景」「起こした炭を持って通って行く光景」を挙げていることを後年知った。こうした趣を理解できるようになったわたしは、苦手だった冬を見直す目を持つことができるようにもなった。
ただ、冬の趣をエアコンの効いた居間で味わいたいのだが、「張りつめた空気感がいい」と主張してホットカーペットで越冬しようとするカミさんに言い出せないでいる。