【街景寸考】雪の日のこと

 Date:2021年01月20日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 その日はたまたまゴミ出し日だったので、朝8時に起きてそのまま台所へ行き、ゴミ袋を引っ提げて玄関を出た。その瞬間、わたしの目に飛び込んできたのは一面の雪化粧だった。足首が埋まってしまうほどの積雪で、これほどの大雪は久々だ。

 サンダル履きのわたしは、足を踏み出すのに一瞬躊躇したが、「ままよ」とばかり雪の中に進み出た。ゴミ置き場には隅っこにゴミ袋が2つだけおかれていた。いつもなら10数袋はあるところだ。他所の家は深く積もる雪のせいで、ゴミ出しを諦めているようだった。各世帯が高齢化してきたことも一因にありそうだ。

 今日のこの雪化粧を見晴らしよく見てみたいと思い、自宅に戻ったわたしは2階に上がり、窓ガラス越しに辺りを見回してみた。辺りは、屋根も、路地も、住宅地を守る擁壁も、擁壁の上に聳える森の木々も真っ白な雪をかぶり、光を反射していた。今日は孫たちも見慣れない純白の世界に目を輝かせて、「ワァワァ、キャアキャア」と騒ぎ立てるに違いない。その様子が目に浮かび、自然に顔がほころんでしまった。

 子どもの頃、わたしも雪が降ると心が躍ったものだ。授業中、窓越しに降り始めた雪に気づいたときは、気が散る気持ちを抑えることができなかった。クラスの子どもたちも一斉に窓の方に顔を向け、「すげぇ」とか「見て、ホラホラ」とか言い出して授業はそっちのけになった。授業を途中で打ち切り、クラス全員を中庭で遊ばせてくれた担任もいた。

 雪が積もると、わたしは竹スキーを作って坂道を滑って遊んだ。スキー板は、青竹をノコギリで適当な長さに切り、ナタで足裏が安定するくらい平らになるよう削り、最後に先端部分をローソクであぶって上向きに曲げたら完成という簡単なものだった。

 漫画に描かれているような大きな雪だるまを作ってみたかったが、大抵は積雪が足りなくて諦めることが多かった。何とか作れるくらい積もっても、雪の塊を転がしているうちに地面の土がくっついて必ず汚れていた。黒い土が白い雪に張りつくたびに気持ちが萎え、自宅周辺にアスファルトの路面がないことを苦々しく思ったものだ。

 雪が積もると他にも想い出すことがある。石川県の山間にある鍋谷という村で生まれ育った祖母や母から聞いていた話である。母は「大雪のときは2階から出入りしていたわね」と話し、祖母は鍋谷の話題になると「ヒィー、雪はもうこりごりや」と首を振り振り、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

 この正月明け、テレビは北陸や新潟など雪国の記録的な豪雪を報じていた。「70数年生きてきたけど、これほど雪が集中的に降ったのは初めてや」と老人が嘆いていた。屋根からの落雪や除雪の際の事故により28名(1月6日現在)もの方々が亡くなり、北陸道では約1500台が立ち往生し20数時間も運転手が車内に閉じ込められていたようだ。

 これらの報道から、わたしは祖母や母に聞かされてきた鍋谷の冬に思いを馳せ、祖母が懲りたという豪雪地の辛さや怖さに以前よりは寄り添えることができた。

 こうした心境は、わたしが古希を過ぎる齢になったことと無関係ではないように思う。