【街景寸考】「トウキョウ大学?」のこと

 Date:2021年02月03日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 学生時代、あるきっかけからわたしは、東京をそれまでとは違った別の視点で見ることができるようになった。そのきっかけを与えてくれたのは、わたしが2tトラックの運転のバイトをしていた頃に荷運びの助手として一緒に仕事をすることになった男だった。痩せ型で、小顔にメガネをかけ、真面目そうな感じの学生風の男だった。

 出会った日、彼は「今日はよろしくお願いします」と挨拶をして笑みをつくりながら助手席に乗ってきた。「学生さんですか」と訊くと、「浪人です」とはっきりとした声で答えた。助手席に座った彼の顔を見ると、伸びた無精ひげが目に入った。わたしと同じТシャツとジーパンの格好だったがしゃれっ気がなく、つましく暮らしているという印象を受けた。

 わたしはハンドルを握りながら、「何の学部を専攻するの」と先輩風を吹かすように訊くと、彼は少し間をおいて「航空機の設計技師をしていたのですが、今は医師を目指して浪人しています」と淡々と答えた。それを聞くなりわたしは、彼が年上であり、更に高等な類の人間だったということが分かり、わたしは「凄いですねぇ」とへりくだっていた。

 当時、わたしの周りには、何となく学部を選んで大学に入学し、卒業後は大手の企業や公務員などに就職を希望するような、大まかな目標しか持たない学友が多かったが、彼の場合は違っていた。自分の人生に明確かつ具体的な目標を持ち、その選択に少しの迷いもないという強い意志を放っているように思えた。

 わたしは無礼を承知で、「どこの大学だったんですか」と訊いてみた。航空機の設計技師になり、更にこれから医師になろうとする彼が、どこの大学だったのかを訊かずにはいられなくなっていた。すると「トウキョウ大学です」という言葉が返ってきた。わたしは聞きなれないこの大学名を瞬間的に反芻していた。そしてその大学名に行き当たると、思わず「トーダイですか」と間の抜けた顔をして叫んでいた。

 東大卒の人間を目の前にするのは、このときが初めてだった。「今は東京医科歯科大学を目指して勉強しています」と彼は訊かなかったことまで言い添えた。初めて聞いた大学だったが、わたしは「ヘェー」と素っ頓狂な声しか出てこなかった。航空機の設計技師を目指すには数学や物理も得意だったに違いない。医師を目指すのなら生物や化学も得意だったはずだ。どれもわたしの苦手な科目ばかりだった。

 わたしは走行中の運転席で、改めて彼が稀に見る優等生であることを知るに及び、翻って下等な学生生活を送っている自分を恥じていた。そして、「トウキョウ大学」という言葉を無意識に何度もなぞっていた。

 それまでわたしは東京のことを、資本主義が奇形化した化け物のような街だという印象を持っていた。ところが彼との出会いにより、様々な人材を生み出す良質な土壌を有する土地柄でもあるという別の視点で東京を見ることができるようになったのだった。

 今、東京医科歯科大学の医師や看護師の方々は、新型コロナウィルスの最前線で連日連夜休む間もなく闘っている。この欄を借りて敬意を表したい。