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Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
学生時代、大学近くの古くて小さな食堂に入ったときのことだ。小皿に入った漬物に醤油をかけようとしたら、ポツポツと滴が落ちるようにしか出てこなかった。注ぎ口に何か詰まっているようだったので、蓋を開けて凝視すると醤油色に染まった虫の死骸のような物体が浮かんでいた。
割り箸の片方でその黒い物体を灰皿に移して確認すると、成虫前のゴキブだった。死骸ではあったが原型をそのままとどめていたので、今にもササッと動き出しそうな感じに見えた。多少不気味ではあったが、わたしは躊躇することなく何事もなかったように膳に向って食事を続けたのだった。
通常であれば、店員を呼んで文句を言い、醤油差しを取り換えてくるよう要求する場面になるところだが、わたしはそうしなかった。まだ世間馴れていない学生だったということもあるが、文句を言ったりするのが煩わしいという気持ちもあった。それに、目くじらを立てるほどのことでもないという思いもどこかにあった。
齢を食っている今のわたしであれば、密かに厨房まで行き、店主を呼んで注意するという行動に出るだろう。誰にでも遠慮せずに物が言えるようになったからであり、加えて若い頃よりも衛生観念も強くなってきたからだ。だからと言って、長々と文句を言って店側を必要以上に困らせることはしない。自制心や品格のない人間になりたくないからだ。
わたしはカスハラ客と呼ばれる連中のような人間ではない。カスハラとはカスタマーハラスメントのことで、消費者が「お客様」という立場を笠に着て理不尽な要求や謝罪を強要する行為のことだ。昨今、こうした始末に悪い連中が急増しているようだ。厚労省が企業向けにカスハラ対応マニュアルを策定したということからも窺うことができる。
カスハラ客の出現は、飲食店やコンビニなどの流通業界だけではない。介護施設や役所、公共交通機関等々、接客サービスを行っている業種全般に広がっているようだ。かつては偏屈者や品格のない成金などにこの手の客が多く見られたが、昨今はどの階層もカスハラ客に変身してしまう可能性を秘めていると言っていい。
こうした傾向が増えてきた背景には、消費者が「おもてなし」による過剰サービスに慣らされてきたことが要因の一つになっていると思われる。接客する側も立場が変われば一消費者であり、自分が接客するときに味わった屈辱やうっぷんを、このときとばかり「倍返しにしてやれ」という仇討ち根性が噴出する心情も理解できなくはない。
この現象を俯瞰的に見ると、サービス過剰という毒薬のために国民同士が「キレあいこ」をしている奇妙な光景になっているように思う。日本人、特に都会で暮らしている人々が不寛容になりがちなのは、この毒薬のせいだけではない。人間らしさが次々と棄損されていく高度な文明社会において、様々な毒性が今も醸成され続けいるように思えてならない。
本来、売り手と買い手は対等な関係にあるはずだ。誠実に対処していれば、それ以上顧客に対しておもねる必要はない。まずは過剰サービスという毒薬から断ちたい。