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【街景寸考】「ジイジ、見て、見て」のこと
Date:2021年05月12日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
新型コロナが流行する前は、土曜日や日曜日になると息子たちや娘が、孫たちを連れて我が家によく遊びに来ていた。ときには二家族が重なって来ることもあり、そうなると孫だけで6人、大人も合わせると10人以上になってリビングはごった返しの状態になる。たまに三家族が重なることもあり、孫だけで8人という場合もある。
わずか1週間のご無沙汰なのに、孫たちを迎えるたびに喜びで心が弾けた。まだ孫がいなかった頃、「孫というのは、来ると嬉しいが、帰るともっと嬉しいもの」と語る近所の年寄りたちの言葉を聞いてきたが、なるほど孫を持って少しは理解できるようになったが、同時に、この言葉が年寄りたちの照れを隠した物言いであることも知った。
確かに、夕方になって孫たちが「バイバーイ」と、一斉に大声を出しながら去って行く車を見送るときは正直ホッとする解放感はあるにはある。しかし、カミさんと二人だけの自宅に戻ると、つい先ほどまでの賑やかなリビングが思い出され、早々と寂しい気持ちになってしまうのもまた事実である。
さて、その小さな孫たちを相手にしていると、色々と気づかされることがある。その一つは「ジイジ、見て、見て」の「見て、見て」だ。自分で描いた絵を見てもらいたがり、紙飛行機を折れば見てもらいたがり、それを遠くに飛ばそうとする際にも見てもらいたがる。自分の興味の趣くまま何かをしたときに、親たちに見てもらいたいという行動だ。
これらの行動は近しい人に自分を認めてもらいたい、褒めてもらいたいという欲求からくるものだ。ここで大事だと思ったのは、大人が忙しい最中であっても、子どもが見せようとする事に少しでも時間を割いて関心を持ってやり、褒めてやらなければならない。褒めてやることで、子どもは自信を持つようになり、心の安定を得るようになり、ひいては子どもとの信頼関係を高める効果もある。
もう一つ気づかされるのは、「なんでーぇ?」を連発することである。本当に知りたくて質問をしている場合もあれば、ただの口癖でしかない場合もある。どちらにしても、わたしは真正面から答えるようにしている。
難しくて答えられない質問もあるが、そういうときは正直に「分からない」と言っている。分からなくても向き合ってやることで、様々な疑問を持つことの大切さや、考えることの楽しさ、答えを知ることの喜びなどを導いてやることができるように思える。
「見て、見て」も「なんでーぇ?」も、子どもがきちんと成長している証である。親が忙しさにかまけ、大人目線でいい加減な対応をすれば、子どもの心は萎み、失望感を与えてしまう場合もあることに気づかなければならない。かつてのわたしの子どもたちへの反省を込めての思いでもある。
新型コロナの終息後に孫たちに会えるのが楽しみである。今は「帰るともっと嬉しい」の心境は失せ、何時でも何時までも会っていたいばかりの心境である。