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【街景寸考】「エッセンシャルワーカー」のこと
Date:2021年07月07日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
恥ずかしながら、「エッセンシャルワーカー」という言葉を知ったのは、つい最近のことである。昨年からの新型コロナ感染禍でメディアが使っていた言葉だったのだろうが、嫌いな横文字だったということもあり、端から心に留める気がなかった。
この言葉が使われるようになったのは、新型コロナの感染拡大の中において、国民の生命や生活を維持するために不可欠な仕事をしている労働者に対して敬意を表しようという声が各方面から上がり始めてからだ。特に、新型コロナの最前線で闘っている医療従事者に向けられたものだった。
つまり「エッセンシャルワーカー」というのは、最低限の社会インフラの維持に必要不可欠な仕事に従事する労働者のことであり、主に医療、福祉、教育、通信、流通、農漁業などの分野に携わっている人々のことである。
わたしの場合、真っ先に浮かんできたのは看護師さんである。10年ほど前に右足首の骨を折って入院したことがあったが、そのときにお世話になったありがたさが忘れられないからである。重いギブスを巻かれてベッドから降りることもできずに気持ちが落ち込んでいた頃、看護師さんたちの優しい笑顔にどれだけ元気づけられたか分からない。
そう言えば、その入院中に夜中だったということもあり、つい手元が滑って排尿したばかりの尿瓶をベッドから落としたことがあった。尿瓶は静まり返った病室の床に大きな音を立てて転がり、自分でその後始末のできないわたしはナースコールのボタンを押すことしかできなかった。すぐさま夜勤の看護師さんが駆けつけてきてきた。
「どうしましたか、大丈夫ですか」と気遣うように訊いてきたので、わたしはバツの悪い調子で「すみません、尿瓶を落としてしまって・・」と小声で答えた。恐縮するわたしに看護師さんは、「大丈夫ですよ」と歯切れよく囁き、手際よく処理した後は「もう大丈夫ですよ」とわたしを安心させるようにそう言って戻って行ったのである。
わたしが看護師だったら、こんなふうにはできない。患者から尿瓶を落としたことを知るや、「本当にもうっ!」と怒り、「何で尿瓶なんか落としたんですかっ!」と嫌味を言い、ふて腐れながら飛び散った尿を嫌々拭き取り、無言で去って行くに違いない。
次に浮かんでくるエッセンシャルは保育士さんだ。孫たちを保育園に送迎することがあり、その際、園児たちが保育士さんを2番目の母親のように慕っていると分かる光景を目にするからだ。我儘を言う子や泣き喚く子を優しくなだめ、紙おむつを替え、昼食を食べさせ、昼寝時には寝付けない子のところに添い寝をして回る様子は、見ていて頭が下がる。
介護士さんたちの働きぶりにも頭が下がる。義父や義母が被介護者として何年もお世話になっていたので、面会に行くたびにその仕事のありがたさを深く感じていた。
「エッセンシャルワーカー」の方々が、価値ある仕事として正当に評価(給料のことなど)される社会になることを強く願う。今後もこれらの人々に感謝の意を表していきたい。