【街景寸考】「宇宙のイメージ」のこと

 Date:2021年07月14日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 夜空に瞬く星々を眺めると心が穏やかになってくるように覚えるのは、わたしだけではないだろう。更に言えば、星々は楽しかったことや悔しかったことなど、そのときどきの心の有様を優しく受け入れ、静かに宇宙の彼方に解き放ってもくれる。

 子どもの頃は、何気なく星空をジッと見上げていたら、いつも同じ疑問が浮かんできた。「なぜ宇宙には無数の星が浮かんでいるのだろうか」「宇宙の端っこはあるのだろうか」「宇宙のどこかに宇宙人のような生命体がいるのだろうか」等々。そして、それらの疑問を抱きながら神秘的な心地の良い気分に浸っていたものだ。

 小学5年生のとき、ソ連が人類初の宇宙飛行を成功させたというニュースが世界中を駆け巡った。学校の掲示板にもその記事の切り抜きが貼られ、飛行船に搭乗したガガーリン少佐の「地球は青かった」という言葉が大見出しになっていた。地球の大半が青い海に覆われていることを知っていたので、この言葉にさほど驚かなかったという記憶がある。

 ガガーリン少佐が飛行した「宇宙」というのは、星々の真っただ中のことだとわたしは思い込んでいた。ところが後年、その「宇宙」が大気圏の淵のようなところだったことを知り、騙されてきたような思いをしたのである。わたしの宇宙のイメージは、銀河鉄道999が空を飛び、宇宙戦艦ヤマトが進軍するようなところ、という思い込みがあった。

 ガガーリン少佐が搭乗した宇宙船の飛行高度は知らないが、仮に国際宇宙ステーションが浮かんでいる高さだとしたら、地球から約400kmのところになる。他方、地球に最も近い天体(月)までの距離が約38万kmなので、ガガーリン少佐が飛行してきたところを「宇宙」と呼ぶにはあまりにもおこがましいということが理解できる。

 現在、米・露・中はその「宇宙」開発に莫大なお金をつぎ込んで蠢いている。表向きは宇宙空間の平和利用と称して人類に夢や希望を持たせているように見えるが、結局は「宇宙」を舞台にした新しい軍拡競争に向かっていくのではないかと勘繰っている。そうであれば、地球滅亡までの時間を示す「終末時計」の針を更に進めることになる。

 やはり宇宙と言うからには、星空が広がる広大無辺の宇宙を想像したい。人類はその満天の星を擁する宇宙を眺めながら神秘の世界に思いを馳せ、畏敬の念さえ抱くようになる。神秘的な宇宙が想像できるからこそ、人類は地球上に生息するすべての生き物に共感を覚え、慈しみの心を持つことができるように思える。

 常にきれいな心にしておくには、どこに住んでも満天の星を眺めることができる地球環境にしていくことが必要だ。そのためにも地球を取り巻いている温室効果ガスを大きく削減していかなければならない。世界中の政治家のトップらが満天の星空の下で一堂に会する場面がセットできたとしたら、「宇宙」での軍拡競争に歯止めがかかるのではないか。

 将来、わたしの孫たちが夜空を見上げるとき、そこに悪魔の存在を意識させるような「宇宙」には決してしたくない。