【街景寸考】スイカを食べた思い出

 Date:2021年07月21日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 幼少の頃は炭鉱長屋に住んでいた。狭い台所に四畳半と6畳の2間、それに小さな裏庭に通ずる2畳分の板敷という間取りだった。便所も風呂も共同だったので、戸外に出て用を足さなければならなかった。

 普段は板敷に家族が集まって何かをするということはなかったが、夏場にスイカを食べるときには必ず板敷に家族5人が集まった。裏庭を眺めながら板敷で食べるのは心地のよい開放感があり、何よりもスイカの種を遠慮なく裏庭にプップッと吐き捨てることができた。ひと夏に2、3度のことだったが、楽しかった記憶として心に残っている。

 冷蔵庫がまだ一般に普及していなかったこの時代、スイカを金たらいに入れて水道水をチョロチョロと流し続けるという方法で冷やしていた。その冷え方はたかが知れていたが、八百屋の店先で売られているときよりも随分冷えていたように思う。

 さて、まな板に載せた丸い大きなスイカに包丁を入れるのは、いつも叔父の役目だった。叔父はスイカの真上から包丁を入れるため、両膝をついて尻を浮かした姿勢で臨んでいた。スイカが二つに分かれて真っ赤な果肉が現れると、わたしは目を丸くして思わず「ワーッ」と歓声を上げ、はしゃいだ。

 次に、食べやすくするため小さく切り分けるのは母の役割だった。祖父は胡坐をかいたまま黙しているだけだった。祖母は切られたスイカを各自のひざ元に振り分けた。わたしは母が切り終わるのを待ちきれず、切り分けられた中から一番大きなものを選んで、尖端からかぶりついた。種はなるべく口の中で寄り分けたが、半分以上は構わず吞み込んでいた。口中で几帳面に寄り分けていると、甘味が落ちる気がしたのである。

 この60余年、日本の一世帯当たりの人数は減り続けてきた。今では一世帯3人以下の世帯が全世帯の80%を占めているという。更に、1人世帯が全世帯の約30%、2人世帯も約30%占めているというから驚く。こうした傾向が強まってきたのは、晩婚化、未婚化の進行、離婚の増加、共稼ぎ世帯などの増加が背景にあると言われている。

 三世代家族はおろか核家族よりも更に少人数化する世帯の増加現象を指して「多様化する世帯」と表現されることがあるが、後ろ向きに捉えれば「家族の崩壊」という言葉に言い換えることもできる。大きな丸いスイカを囲んで、家族が賑やかに食べる光景がほとんど見られなくなった昨今の状況を、そう思えなくもない。

 熊本県の植木町を中心に「ひとりじめ」と呼ぶ小玉のスイカが生産・販売されている。いつ頃からの生産かは知らないが、急増する少人数世帯の需要を見込んでの品種改良だったことは推察できる。小玉ゆえにまるまる冷蔵庫に入れることができ、1回で食べ終えることができるという便利さなどが少人数世帯に歓迎されているのかもしれない。

 それはそれで結構なことだが、大人数でスイカを食べていた楽しい光景を知る者としては、「ひとりじめ」が普及していくことに寂しさを覚えてしまう。