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【街景寸考】「あれ?母校がない」のこと
Date:2021年07月27日21時37分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
先日、母校の高校がなくなっていることを偶然知った。夏の甲子園大会福岡県予選の組み
合わせがテレビで報じられていたときのことだ。母校の対戦相手がどこになるのだろうか
と思いながら見入っていたのだが、母校の名がどこにもなかったのである。
嫌な予感がしたので早速ネットで検索したところ、母校の名称は出てきたがフレックス
型単位制高等学校という聞いたことのない制度に改変されていたのである。改変の中身に
は関心がなかったが、ともかく通っていた全日制普通科がなくなったのかどうかを早く知
るために学校概要に目を通した。
そして残念ながら、全日制普通科は令和3年3月末をもって閉校していることを確認す
ることができた。学業や恋愛にはわき目もふらず、わたしの青春のすべてを捧げた野球部をはじめ、他の運動部も揃って実質的になくなっていた。
この改変に至った原因として真っ先に浮かんできたのは、わたしの母校が進学校として
はレベルが低かったからではないかということだった。少子化で受験人口が大きく減少し
たことも一因に挙げられようが、同じ市郡内にある普通高校が2校とも残っていることを
鑑みれば、やはり「学力の問題」が主因のように思えて仕方がなかった。
母校の名称は辛くも残されている恰好ではあったが、もはや中身が別物になっていると
いう事実は認めざるを得ず、淋しさや悲しさだけではない複雑な心境に陥った。その心の内
をあえて吐露すれば、野球に打ち込んでいた高校時代の自分が消去されたような、更には自
分という存在の一部が希薄化していくような不安感に駆られる気分だった。
14年前、同じように廃校になった大学があった。わたしが片手間に非常勤講師として9
年ほど夏場だけ携わっていた大学だった。廃校のことは知らされていなかったが、その数年
前からわたしの窓口になっていたS教授が大学改革のために奔走していたのは知っていた
ので、そのことと何らかの関係があったことは後日推察するに至った。
おそらく、少子化に加えて学生の理系離れ、更にはこの大学の偏差値の低さなどが関係し
て経営事情が悪化していたのだろう。現在は看護系の大学に転用されていた。
S教授は学生の教育や進路指導に人一倍熱心だっただけでなく、NPО法人や不動産会
社と連携してホームレスの住居を確保する活動にも携わっていた人物だったので、多くの
学生から敬われ慕われていた。当時、S教授も学生たちも廃校になることを知っていたはず
だが、非常勤のわたしに配慮してくれたのか、そのことを語ることはなかった。
今回、わたしが通っていた高校がこの大学と同じような憂き目にあったことで、当時、母
校が間もなく廃校になるという事態に直面していたS教授や学生たちの戸惑いと複雑な心境が、分かり過ぎるほど分かるという機会を得たことになった。
今後も母校のことを語る機会が様々な場面であるに違いない。そういうときは懐かしさ
だけでなく、どこか虚しさを常に伴うことになるのだろう。