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【街景寸考】苦手だった図画のこと
Date:2021年09月01日08時52分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
小学生の頃から図画工作は苦手だった。特に図画は大の苦手だった。風景画などを描く授
業があると、教室から出られた開放感の勢いで半分は遊んでいた。そのため画用紙に白地部
分を残したままの絵を提出していた。そのため通信簿はいつも5段階の1か2だった。
絵を描くのが好きになれなかったのは、多分に家庭環境も影響していた。というのは、祖
母の手で過保護なほど大事に育てられたわたしだったが、読み書きはもちろん子どもが絵を描くということに関心を持ってもらえなかったのだった。
わたしの性分も絵が嫌いになる要因になっていた。幼稚園の入園前にクレパスを買ってもらったことが嬉しかったという記憶があるが、クレパスを手にして白紙に何かを描いていたという自分の光景が浮かんでこないのである。普通の幼児と違って、白紙を目の前に差し出されても何かを描きたいという衝動が湧いてくる性分ではなかったようだ。
授業で絵具を使うようになるのは小学4、5年生からだったと思うが、筆先を操るのがクレパスよりも難しく思い、ますます絵を描くのが嫌いになった。下絵をエンピツで描くまでは何とかなったように思うが、絵具を塗るはしからハチャメチャになっていった。例えば、見晴らしの良い山を描くつもりが、巨大な青虫のような不可解な絵になっていた。
カミさんはわたしと違って、絵を描いたり字を書いたりするのが上手である。スポーツは全般的に不器用だが、絵筆や毛筆を持たせると実に器用に操る。以前、たまたま油絵を描いているところを遠目に見ていたことがあったが、対象物を根気よく見続ける観察眼や、手を抜こうとしない描くことへのこだわりは舌を巻くほどのように思えた。
わたしにはカミさんのような根気やこだわりという能力はない。加えて、面倒くさがり屋ときているので、たとえ祖母が絵を描くように導いていても徒労に終わっていたはずだ。他の教科も同じようにデキが悪かったのは、こうした性分が災いしていたように思う。
図画の苦手なわたしだったが、なぜかユトリロの絵にだけは魅かれていた。初めてユトリロの絵を見たのは中学時代の美術の教科書だった。白を基調にしたモンマルトルのうら寂しくて切なくさえ思える街並みに、親近感を持ったのである。以降、哀愁が漂う優しい詩情を感じるような絵に遭遇すると、つい魅かれてしまう自分を自覚するようになった。
実はわたしの好きな絵がもう一枚ある。まだ幼かった4人の子どもたちをカミさんが描いた80号サイズの油絵だ。家族で福岡の大濠公園に遊びに行ったときの写真を元に描いたものだ。未完成なので子どもたちの顔もおぼろげなままだが、それでも母親の優しいまなざしが注がれた情感豊かな絵になってわたしには見える。我が家の「お宝」である。
昨今、孫娘たちの描いた絵が学校で表彰されたという知らせを聞くようになった。これら
孫娘に潜むDNAは間違いなくカミさん寄りのものであるのは疑いない。わたし寄りでな
かったことを神仏に感謝したい。