【街景寸考】中村先生のこと

 Date:2021年09月15日00時23分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 ある人物のことを「あの人は見たままの人だ」と評する場合、飾らない人、裏表のない正直な人というように好感を持って言うことが多い。中村先生の場合は、これに加えて「心に強い信念を秘め、目的に向かって真っすぐ突き進んでいく人」という印象があった。

 中村先生とは、アフガニスタンの人道支援を30年以上の長きに亘って続ける中で、2年前に凶弾に倒れた中村哲医師のことである。

 中村先生の信念とは「目の前の困っている人々を見捨てることができず、そのような人々と共に生きる」というものであり、「飢えと病気に苦しむアフガニスタンの人々の命と健康を守り続けていく」ことを目的にしていた。

 中村先生の人道支援は医療活動から始まったものだが、医療活動を続ける中で「病の根本原因にもなり得る飢餓から人々を救うには、100の診療所より1本の農業用水路が必要」という考えに至り、この考えに共感した現地の人々と共に、砂漠化した荒地を農地にするための灌漑工事をほぼ人力で取り組むという難業に挑んできた。

 そして17年かけて27kmの用水路を造り、その水の流れにより約1万6千haの緑豊かな大地を生み出し、65万人もの人々の暮らしを支えることができるまでになった。中村先生にとってはまだ道半ばだったとはいえ、世界中の人々から奇跡的な偉業として評価されるに至っている。

 その中村先生がなぜ、どういう理由で殺されなければならなかったのか。紛争や飢餓に苦しむアフガニスタンの人々のために尽くしていた先生がどうして殺されなければならなかったのか。「困った人々を助けたい」と語っていた中村先生の言葉を思い出すたびに、強い怒りと深い悲しみが込み上げてくる。

 事件後、中村先生の若かりし頃のエピソードがテレビで語られているのを観た。中村少年が下駄をはいてのんびりと朝の散歩をしていると、近所の人から「今日は高校入試の日ではなかったですか」と言われ慌てて自宅に駆け戻ったという話。あるいは医学部の同窓会場の受付になりふり構わない恰好で現れた中村青年が、おもむろにポケットから給料袋を取り出して会費を払っていたという話などである。

 これらのエピソードはいずれも中村先生の人間性や生き方をいかにも象徴しているように思えた。少しも飾り気がなく、いつも平然として世間の常識にこだわらず、利己的な欲得もなく、無私の生き方を貫いてきた稀有な人物の一端を垣間見る思いだった。わたしが理想としてきた「本物の人間」が同時代に生きていたということが嬉しい。

 今、アフガニスタンは武力勢力タリバンによって制圧され、混乱する政治情勢の渦中にある。民主主義が否定され、人権や自由を束縛する統治が行われるとするなら、中村先生の考えとは大きく異なるものになる。今、天国で中村先生はこのアフガニスタンの有様をどのように思っているだろうか。