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【街景寸考】宮城まり子さんを偲んで
Date:2021年09月22日09時10分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
紅い夕陽が ガードを染めて 墨に汚れた ポケットのぞきゃ
ビルの向こうに 沈んだら 今日も小さな お札だけ
街にゃネオンの 花が咲く 風の寒さや ひもじさにゃ
おいら貧しい 靴みがき 馴れているから 泣かないが
ああ 夜になっても 帰れない ああ 夢のない身が 辛いのさ
この歌詞は1955年(昭和30年)に、当時歌手だった宮城まり子さんが歌って大ヒットした「ガード下の靴みがき」である。
この歌詞の中で歌われているのは、終戦後の厳しい食糧難に多くの日本人が喘いでいた頃に、街角やガード下で靴みがきをして生活の糧を得ていた子どもたちのことである。両親を戦争で亡くしたり、病弱の親を抱えたりしている子どもたちがたくさんいた時代だった。この歌は、その子どもたちの辛さや悲しさを謳ったものだ。
小学生の頃、わたしはテレビの歌番組でこの歌を歌っている宮城まり子さんが大好きだった。曲目に合わせているとは言え、キャップを後ろ向きに被り、顔に墨をつけて靴磨きの少年に扮してあどけなく歌う姿は、華やかなステージ衣装で登場する他のどの女性歌手よりもわたしには輝いて見えた。
人気歌手として紅白歌合戦に何度も出場し、女優としても舞台やテレビで活躍していた宮城まり子さんが、その後、民間では初めての肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」を設立したことを知って驚いた記憶がある。施設を創ろうとしたきっかけは、ミュージカルの役づくりのために脳性マヒの子どもたちがいる施設を訪問したことだった。
施設の設立は41歳のときだった。私財を投げ打ち、たったの一人で苦労した末の設立だったようだ。以後、この学園は肢体不自由児・孤児・親の虐待を受けた子などのための養護活動だけでなく、絵画や音楽、工芸などの教育事業や、障害児が生まれ持った豊かな感性を作品展や映画制作などを通して社会に伝える活動まで行ってきた。
長い間こうした救済・支援活動を続けてきた宮城まり子さんだったが、いつも「これでよかったのだろうか」と自問自答するのが口癖だったという。宮城まり子さんという人間が人生を賭して懸命に子どもたちに寄り添いながらも、自らを厳しく見詰めてきたことを窺える言葉だったように思う。
こうした彼女の生き方の原点には、28歳のときに歌った「ガード下の靴みがき」の歌があったのではないかと思うこともあった。93歳で亡くなるまで、まるで少女のように愛らしい瞳をしたままの女性だった。「やさしくね、やさしくね、やさしいことはつよいのよ」。宮城まり子さんが学園の子どもたちのために大事にしてきた言葉だった。
優しさ溢れた彼女の人生に、心から敬意を表したい。